#31 刺す、刺さる、刺されば、刺さろう?
※下書きなしに思いつくままに書いています。多少の不備はお見逃しください。
先日、Webライターラボにおいて「ザ・コピーライティング→バイブルアタック」の話題が出ました。
その際に、
「自分は中学生のころ、塾の先生に教科書で頭を叩かれていた」
とか、
「教師用の大きな三角定規の角でなぐられていた」
といった被体罰体験談も出てきたのです。
たしかに我々40代が子どもだったころは、けっこうナチュラルに校内で体罰が実行されていたなあと思います。中学校では、ジャージ姿で常に竹刀を持ち歩く生徒指導の先生とかも普通におられた気がするんです。
当時のわたしは、先生に大声で叱責されたり、あるいは体罰を受けているクラスメートと同じ教室にいるだけで、もう怖くて、辛くてたまりませんでした。そう、今でいうところのHSP(繊細さん)な子ども、つまりはHSCだったんです。
自分自身は先生に叱られるようなことは絶対にしない子でした。でも、自分が叱られているのではなくても、怒っている人が近くにいるだけで、自分が叱られているのと同じぐらい、心にダメージを受けていたのです。
解せなかったのは、肝心の叱られてた本人は意外にけろっとしており、また後日同じようなことで先生に叱られていたということですが。
この体験からも、ある主張を本来刺さってほしい人に刺さらせるのは非常に難しいんだなと思います。
オンラインサロンでも、
「自由に質問を寄せてくださいね」
と言われたときに、
「でも、こんな初歩的な質問をしてよいだろうか」
とためらってしまう人が一定数存在します。
そうした人たちの脳裏には、
「簡単な質問をするなって、どこかで言われた気がする」
という思いがあるのでしょう。
しかし、おそらくその発言は
「Googleで検索すれば分かるような質問を、自分で何も考えないままに、忙しいインフルエンサーに丸投げするのはやめましょうね」
といった文脈で語られたのだと思います。
しかし、肝心のググれば分かるような質問を何も考えずに丸投げするような人たちには、おそらくその言葉の本意は届いていないでしょう。
その代わり、自分で真剣に考えぬいた結果、どうしても聞きたい質問のある人たちに、
「質問をしてはいけない」
といったニュアンスで受け取られてしまっている。その結果として、本当に有益な質問までが封じられてしまうといった図式が起こりがちなのです。
Webライターラボでは、ある画期的な一言を添えることで、そうした不幸な解釈のすれ違いを未然に防止しているのですが、それはまた別の機会に。