#48 自動応答化時代に生きる
先日、ある公式LINE様相手に、ちょっとしたしくじりをやらかしました。
それについてはこちらの記事に詳細がありますので、興味のある方はご覧ください。
けれども、この一連の出来事を通して、わたしの心の中にちょっとしたモヤモヤが残り続けていました。
これまで、仕事などで新しいツールが登場してもその都度なんとか対応してきたのに、どうして今回に関しては「ついていけないかもしれない」という感じを抱いたのか。
いろいろ考えてみると、これまでの時代はツールは異なれど、言葉の向こうには必ずその言葉を発する一人の人間がいる。そんな一対一のコミュニケーションが当たり前の時代でした。具体的には、手紙なり、黒電話による通話なりといったところでしょうか。
しかし、現在では、公式LINEやメルマガ等のステップメールといったコミュニケーションが手段が増えた。それらは、確かにメッセージを発する人間はいるものの、厳密には一対一の関係ではありません。
普通に考えれば、AIの力を借りながら不特定多数の相手に同時にコミュニケーションが取れるのは、ありがたいことでもあるんです。日本人の数はだんだん少なくなっていきますし。
一例として、コロナの感染者や濃厚接触者の対象者の調査においては、いまだに保健所の方が該当者の一人ひとりに電話をかけ、聞き取りなどをやっておられると耳にします。
それならば、
「〇〇に該当する方は1番を押してください」
「△△に該当する方は2番を、××に該当する人は、担当者が直接聞き取りを行います」
このように、いわば通販の電話申込み的システムで、最初に機械応答にてある程度、対象を絞り込む。そして本当に必要とされる人にだけ保健所の方が一対一で応答するようにすれば、人的リソースがより有効活用できるのではないかと思うわけです。
ただ、私個人としては、今後もやはり、常に言葉の向こうにいるはずの「一人の人」の存在を感じとりつつ、コミュニケーションを取り続けるんだろうなと感じます。
そのように、機械的に届けられる言葉に必死に応答する姿は、はたから見ると少し滑稽かもしれません。でも、わたしはネットの向こうに確かにいるはずの「人」の存在を無視して、有名人のSNSなどに誹謗中傷のメッセージを送り続けるようなことはしたくありません。
だったら、自らに届けられた言葉の向こうに、人がいるのか機械がいるのか分からない場合は、とにかく「人」がいると思って、それにふさわしい礼節をこめた行動をしようと思うのです(エラーを起こさない範囲内で)。
だから、わたしはもし将来老人ホームに入居し、AIロボットに介護されることになったとしても、きっとロボット相手に
「すまないねえ。ありがとうね」
とか言っているかもしれません。
それは確かにちょっとシュールな風景ではありますが、それはそれでいいんじゃないでしょうか。誰かを傷つける心配はほぼないでしょうでしょうから。