#21 Webライターの「自由」とは
※下書きなしで思いつくままに書いていきます。多少の不備はお見逃しください。
先日、あるWebライターさんが、
「自分は働く場所に左右されず、自由に生きたいと願った。そしてようやくその念願を叶えることができた」
といった内容のことをSNSで呟いておられました。
その投稿を読んだ瞬間ふと頭に浮かんだのは、三好達治の「鴎(かもめ)」という詩でした。正確にいうと、頭に流れたのはこの詩に曲を付けた歌で、学生時代に所属した合唱団における愛称曲の一つでした。
わたしはこの歌詞とメロディーがとても好きで、世紀をまたいだ今でもまだフルで歌うことができます。
※画像は、旭川東高校の皆さんの合唱です。ステキです。
ついに自由は彼らのものだ 彼ら空で恋をして 雲を彼らの臥所とする
自由を勝ち得たカモメたちが、自分の翼で羽ばたいて、自分の選んだ人生を生きていく。そんな風景が浮かんできます。
ついに自由は彼らのものだ 彼ら自身が彼らの故郷 彼ら自身が彼らの墳墓
しかし、自由な生き方には、同時に厳しさも伴います。空を旅して飛び回るカモメたちには、決まった「故郷」と呼べる土地はありません。さらに、息絶えた仲間たち、そして自分の生きた証を残す場所であるべきお墓すらもないのです。
ついに自由は彼らのものだ 一つの星をすみかとし 一つの言葉で事たりる
そんな厳しさがありながらも、やはりその生き方が持つシンプルな「自由」にはあこがれの想いをいだきます。
今のご時世、世界を駆け巡るどころか、国内の旅行もなかなか自由にはできません。
それでも、やっぱり一度しかない人生だから、悔いのないように精いっぱい羽ばたいてみろよ、とこの曲に言われた気がしました。