#71「それで?」の向こう側
先日、所属しているWebライターラボにて「セールスライティング」についての講義がありました。
その中で特に印象に残ったのは、「他人に読んでもらえる文章にするためには、徹底的に相手目線に立つことが必要だ」ということでした。
講義の中では、それを実現させるための具体的手法として、あるユニークな方法が紹介されています。
それは脳内ホリエモンさんと脳内ひろゆきさんを召喚して、文章を書くたびに「それで?」「だから何が言いたいの?」「その根拠はどこにあるの?」といった具合にツッコミを入れてもらうことです。
二人の激しいツッコミに対処しながら、文章の内容を厳しく吟味する。そうやって客観的な視点から主張を磨き上げることで、ようやく人目にとめてもらえる文章になるということでした。
わたしはふと、こうした自己吟味というものは、実は生きる姿勢全般においても必要ではないかなと感じました。
というか、わたしは日々の生活を送るうえで、こうした「それで?」「だから?」という内なる声の存在を感じることがあるんです。
「テストライティングに挑戦して、新しい仕事をいただくことができたよ」
「今月はライターとして〇円の収益を上げられたよ」
自分がこういうちょっと自慢したいモードになったときに、往々にして「それで?」と問う声が登場します。
「それで何なの? 実績を上げて、月収〇円稼げるようになったとして、その先には何があるの?」
「……それは、いっぱいお金を稼いで、自分と家族が楽しく暮らせるようになるといいなって」
「だから? お金があって、自分と家族が楽しく暮らせれば、それでいいいの?」
「……実績を上げて、お金を稼いで、名も上げて、あわよくばみんなに『ちょっといいな』と言われるようなこともしてみたいし」
「それで? 有名になって、人にうらやましがられるようになって、じゃあ、その先には何があるの?」
「……うーん。何があるのかなあ」
「それがあなたの残りの人生をかけて本当にやりたいことなの? それで今際の際にも、本当に後悔しないって言いきれる?」
「……後悔しないかと言われると、ちょっと微妙かなあ」
この内なる声はちょっと意地悪で、突っ込むだけ突っ込んでおいて、あとのことは知らんぷりなのです。最後にはいつも「そんなもの、自分の人生なんだから、あとは自分で考えなさいよ」と突き放されてしまいます。
そして、この壮大なツッコミへの果てしない答えを探しつつ、今日もとりあえず目の前の仕事を片付けるのでした。