「規格外」の活用を叫ぶのもいいけれど~SDGsの形骸化を離島の農家と考える~
SDGs(生産者にはどこがゴールかサッパリ不明)
#SDGsへの向き合い方
規格外品をもとめる人たち
事の始めから、上記のようなことを申し出る人や企業がいる。これについて一生産者としては、なんとも言えない気分になってしまう。というのも、そもそも私は規格外(B品)ではなく、規格品(秀品)を作ろうとしているからだ。
たしかにB品は出る。これは事実だ。特に果菜類(実を食べる作物)は一つの株に何個も実をつけるので、その出現率は葉物や根物の野菜に比べれば高くなりがちである。
とはいえ、やはりB品はあくまで副産物であり、まずは規格品を買ってもらいたいという思いがある。結果としては規格外になったとはいえ、規格外品にも規格品にも同じくらいの手間がかかっている以上、やはり規格品が売れてこそ安定的な収入になるからだ。
社員食堂のSDGs
さて、SDGsを叫ぶ昨今、規格外品の再利用なんていう取り込みがブームだ。規格外品の利用はフードロスから世界を救うなんてことまで叫ぶ人もいる。特に大企業のCSR活動においては、その熱が拡大していると言ってもいいだろう。
確かに間違ってはいない。
しかし、どうだろう。そもそもSDGsを叫ぶ企業の社員食堂は、食材を廃棄せず使い切っているのだろうか?もちろん全てとは言わないが、日常的なフードロスを防がずして規格外品の再利用というのは時期尚早のような気がしている。
野菜を「潰す」のはもったいないのか?
たとえば農作業には規格外品を畑に還す作業がある。俗には野菜を「潰す」なんて呼ばれたりもする。このような行為がTVやSNSで流れると、無惨で「もったいない」という声が上がる。
ただ、この行為自体は規格外品を焼却場へ持ち込むよりかはよっぽど環境負荷が低い。なぜなら、規格外品は土に還り、次なる農作の栄養となるからだ。
私からからすれば、家庭や飲食店で正規品がゴミ箱に捨てられ、焼却処分される方がよっぽどもったいない。循環して畑に戻ってこない以上、SDGsのSustainable(サステイナブル)からは遠ざかっていく行為だ。
反面、この畑で「潰す」作業自体はそもそもSDGs的な側面を持っている。だからこそ、規格外品の有効活用がSDGsと言われてもピンとこなかったりもするのである。なんなら、「農家がこれからも生産を続けるために、まずは規格品を買ってくれませんか?規格外品はお付き合いが長くなれば・・・」なんて思ってしまう。
規格を決めるのは誰?
作物が規格品か否かを決めるのは、農家、もしくは農家の取引先(多くは仲卸業者)である。もちろんその規格の質に対して、顧客が是非を唱えるのも顧客のしかるべき権利である。
ただやはり、再三申せば、最初に規格を定める権利は農家とその取引先にある。
だからこそ、この二者の関係における第三者が、もし「規格品」という言葉を使って農家に交渉するのであれば、そもそも「規格とは何か」を生産者に明示すべき、もしくは確認すべきではないか?
多少の傷あり品を取引先や顧客との信頼の上で、れっきとした商品として販売する農家もいる。だからこそ、それぞれの生産者が抱える状況を知らずに、不明瞭な概念として規格外という言葉を使うのは、生産者を困らせてしまうのである。つまり、
となりかねないということである。
SDGsが広がっていくのはもちろん素晴らしい。
しかし、SDGsという目標が手段として形骸化し、SDGsを末端で支える人々の労力や時間を奪っていることもある。
私としては、SDGsが、SDGs(生産者にはどれがゴールかサッパリ不明)となることだけは避けてほしいと思えてならない。
ーーー
身も蓋もない話をすると、規格外品ばかりが売れちゃうと、規格品が売れないので生産者は困ると思うんです。栽培技術を磨く、モチベーションも上がらないし。かといって、規格外品を規格品と遜色のないレベルで買ってもらうってわけにもいかないだろうし。
こういうのって、ほかの業界でもあるんですかね?
★まじめなこともお話しできる民宿はこちらです↓