「怒らない人」は「優しくない人」:内省その2

 身の回りに「怒らない人」っていません?

 僕です。僕は滅多に怒らない。怒りという感情をどこかに置き忘れてしまったかのように怒らない。そういう人って一定数いる気がして。そういう人がなぜ怒らないのか。どのように考えて生きているのか。(あくまで僕個人が)考えていることについてまとめてみようと思う。そう、これは「内省」シリーズ第二弾。これで終わるかもしれない

 まず、このことについて考えるきっかけになったことから書いていく。高校生のころ、担任の先生と個人面談をする機会があって。その当時から前回書いた「他人を気にしないために他人を気にする」という生き方をしていたので、担任からの印象はだいぶ良かったと思う。そして「怒らない」というのも担任の印象にあったはず。

 面談の時に「○○(僕)は全然怒らないな。私はすぐに怒ってしまうんだけど、どうすれば怒らないようになる?」と聞かれたのだ。どうすればいいかとかは結構ちゃんとあるのだけど、説明するととんでもなく長くなりそうなので、その時は「何かを言われたときに言い返してしまうと、その人と同じレベルになってしまう。喧嘩とかは同じレベルの人間同士でしか起こらないから、自分を下げないようにしている」みたいなことを答えた覚えがある。これはまあ間違ってはいないのだが、もう少し踏み込む余地があるので、それをまとめていく。

 怒らない理由はいくつかあるのだけど、一つずつ順を追って。まず一つ、考えの核になっているのは、前回書いた「他人を気にしないために他人を気にする」生き方だ。自己防衛というような言い方もできるのだが、「怒り」という感情は非常に強い力を持っている。これを相手にぶつけてしまえばそれ相応の力が返ってくることは想像に難くない。つまりは、そういうこと

 では、他人に対して怒りがわいてくる場合に絞って、何を考えているか書いてみる。例えば、他人が失敗して、自分でもそうでなくても、なにか被害が出た時とか。悪気のあるなしに関わらず、僕は怒らないだろう。

 もし悪気がなければ、それは仕方のないことだと考える。自分もしうる失敗であればなおさらだ。別に怒る必要のないことだと思う。怒っても何か変わるわけではないし、自分は疲れるし、相手は落ち込んでしまうだろうし。怒ることによるメリットが少ないと感じるから、怒らない。たいていの人は多分怒らないシチュエーションだと思う。怒っても注意するぐらい。

 そして次。もしその他人が意図的に被害を出した場合。例えば、悪口を言ってくるとか、相手の持ち物(もの、お金、身体とか)に勝手に手を出すとか。ここで怒る人は多いと思う。それは人間として自然な感情だ。ただ、僕は怒らない。なぜかというと、自分が被害を受けたことに対する怒りがわく前に、その人を「かわいそうだ」と思ってしまうからだ。簡単に言えば、言い方は悪いが見下しているのだと思う。そんなことをするのは人としてどうなの?と。ちゃんとした教育を受けられなかったのかとか、今まで注意してくれる人が誰もいなかったんだろうかとか思ってしまう。そして重要なのはこの次で。だったら僕が叱ってこの人を正してあげようとは思わず、一生そのままで生きていけばいいと思ってしまう。それで損をするのは誰でもないその人で。相手の気持ちを察せず不快にさせる人は回りまわって自分に不幸がこう、降りかかってくるぞと。こう書くと僕はずいぶんひどい奴だ。この世界には「因果応報」という言葉があるが、その点でいうと僕はこの考えを深く信じているのかもしれない。

 これはもちろん、その悪さをする人との関係性にも依るとも思う。めちゃめちゃ身近で、長く過ごしていた友人とかならば注意ぐらいはするかもしれない。いや、しないかも。というか、そんなことする人とはそもそも関係を保とうとしてないわ。それだ。

 ところでこれは少し余談に近いのだけれど、「怒り」がよく見られるシチュエーションの1つに、レストランとかで注文したものと違うものが出される、なんてことがあるだろう。実際これはつい数週間前にあったのだが、こうなった場合、皆さんは店員さんに頼んだものと違うという旨を伝えるだろうか。語気を荒らげながらいう人もいるだろうし、逆にそれはそれでいいか、なんてなんの不満も持たず食べる人もいるだろう。それで言うと僕は間違いなく後者だ。これが「怒らない」という生き方につながるかどうかはわからないのだが、何となく関係がある気がするので一応。

 そしてこれまた余談だが、「怒る」と「叱る」には違いがあるなと思う。これに関しては他の方が詳しく書かれているので、そちらも参考にするといいかも(なんの?)。

 怒らない人というのは、優しいから、とかでも何でもなく、実はその逆の「間違いを訂正してあげない人」だったりする。というか基本的にそうだと思う。自分の人生は自分の人生で、他人の人生は他人の人生で。自分の人生を豊かにするために「怒り」は必ずしも必要ではないと思う。他人に興味がないのかなとも思うが、そうでもない気もする。実に難しいところだ。

 怒る人も怒らない人も、大きな力を持った「怒り」という感情とどのように向き合うかは、一生の課題だと思う。アンガーマネジメントなんて言葉も聞くようにね。それを突き放すも、一生抱えていくのも個人の考えによるところだ。「怒りとは何なのか」「優しさとは何なのか」ということを絶えず考えて、自分の感情と上手く付き合っていきたいね、という内省でした。

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