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靴泥棒 2【仮】

 その声の恐ろしさに、僕の身体はまた固まってしまいました。
「僕は、何もしていません!」
 つっかえながら、何とか言葉をひねり出しました。強張る首だけで後ろに振り返り、顔を上げました。そこには声の主が立っていました。つまり、お巡りさんです。油断なく重たそうな懐中電灯をこちらに向けています。
 パトカーのライトと、懐中電灯の光がまぶしくて、その顔はよく見えません。けれども、あの声からするとどう考えても、友好的な態度をとっているようには思えませんでした。
 僕は、尻の下の鞄をぎゅっと握りしめました。
 お巡りさんは立ったまま何も言いません。見えないはずのその目が、僕をにらみつけているように感じました。突き刺さるような居心地の悪い目線です。
「あのう」
 もう一度、声を絞り出します。背中を焼くような気まずい沈黙に耐え切れなかったのです。
 お巡りさんは何も言いません。嫌な沈黙は途切れることなく続きます。その沈黙そのものが僕を責め立てているように感じました。僕がいったい何をしたというのでしょう。僕はただ、呼びかけに振り向いてしまっただけだというのに。
 ――ザザッ
 ふいに、ノイズが聞こえました。それはお巡りさんの腰につけられた無線機から聞こえました。
「チッ」
 お巡りさんは荒々しい舌打ちを一つ打ちました。逆光の中の影が、無線機に手を伸ばすのがわかりました。
「こちらド十四番、文流交差点」
 そのような声が聞こえました。どこかの誰かと話しているようでした。夜の静寂のなかに、お巡りさんの声とノイズだけが聞こえてきます。お巡りさんはしばらく相手の言葉を聞いてから、また無線機になにやら話しかけています。
「……マルヒを確認。至急、応援を送られたし。オクレ」
 突然、声が像を結び、耳に飛び込んできました。マルヒ? どういう意味でしょうか? マル秘? 真昼? いくつか候補を頭に浮かべた後に、一つの言葉が現れました。
 丸被。
 ヒ、は被害者の被。そうだ、そうに違いありません。ああ、よかった。お巡りさんは怖い顔をしているけれども、怖いのは顔と態度だけで、本当は優しいのだ。ちゃんと僕を被害者だと認めて、応援を呼んでくれるのだ。
 考えてみれば、お巡りさんが一人であの仮面の襲撃者たちを追いかけてしまえば、僕はここに置き去りになってしまいます。靴もない裸足のままで。
「立てるか?」
 無線での話を終えたお巡りさんが、手を差し出してきました。僕は、その手を取りました。ぎゅっと力強い力が、僕の手のひらを掴みました。
「署に来てもらうけど、問題ないな?」
 有無を言わさぬ問いかけでした。
 僕は本当はもう家に帰りたかったのですけれども、その口調に対して首を振ることはできませんでした。それに
「あのう」
「なんだ?」
「少し手が痛いのですが」
「そう」
 僕は握りしめられた手を少し揺らしながら言いましたけれども、お巡りさんの手は緩みませんでした。

【つづく】


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