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田舎出身のわたしが本屋が大好きな理由
先日、久しぶりに実家に帰り、小中学生の時に行きつけだった本屋さんに行き、「昔と変わらない配置だなあ。」とふと懐かしんでいる時に、あることを発見し、自分が本屋が大好きな理由に気がついた。
わたしは、本が大好きだ。
それは、本が大好きな父の影響である。
父はお酒もゴルフもタバコもせず、本だけにお金と時間を投下する。
昔から、父と話をするのは決まって、「最近読んだ面白かった本について」である。
床が抜けそう(ジャンプすると床が揺れるので本当に抜けそうである)なくらい父の本が山積みにしてある部屋がうちには存在していた。
そんな父を見て育ち、小さい頃の週末の遊びは、図書館に行くことだった。
わたしは図書館で毎週山程本を借りてきて読んでいた。
市立図書館、学校の図書館、借りられるだけ目一杯借りて読んでいた。
今でも図書館のあの何とも言えない静けさと、公共機関ならではのすん、とした匂いに心が踊る。
引っ越しの時には必ず図書館の位置を確認するほどだ。
それくらい図書館が好きなわたしだが、実は本屋も同じくらいに、いやそれ以上に大好きなのである。
図書館が安心できる場所だとしたら、本屋さんはわくわくと未来を感じられる場所だ。
わたしの実家は、名古屋まで電車で1時間、コンビニに行くのも、スーパーに行くのも車で、駅は市に一つしかないような田舎にある。
服を選ぶにも「おかしくないか?」が基準になるし、噂はすぐに広まる。
友達の親も、地場産業である陶器に従事しているか、トヨタの子会社で働いているか、公務員かのだいたいどれかだった。
その中で自分と接する大人は学校や習い事や塾の先生と両親くらいなものだった。
何が言いたいかというと、田舎というのは、多様性が少なく、確固たる「正解」がある閉鎖的な世界なのである。
大人というのは、その「正解」を教えてくれるだけの存在なのである。
そんな世界でわたしを救ってくれたのが、本屋さんだったのだ。
当時ネットも身近にない時代で、都会と同じ情報を得ることができたのは、本だけだったのだ。
まさに、久しぶりに地元の本屋さんに言って発見したことは、
(少しの遅れはあれど)都会と同じようなラインナップだということだ。
どんなにい田舎でも、本屋さんに行けば世界中の人の意見を知ることができ、わたしにとっては未知の素晴らしい希望に溢れる世界に出会える場所だったのだ。
図書館には、先進的な本は少なく、新しい本が入れば、10人ほどの待ちが出るような状態だったのでなかなかそのような感覚は得づらかった。
そういうわけで、わたしにとって、本屋とは、希望のある世界を見せてくれる、場所なのだ。
だから、わたしは本屋さんが大好きである。
Kindleではなく、どうしても本屋さんで本を買いたいと思うのはきっと、本屋に行くということがわたしにとって希望そのものだからなのだ。
そんな未来を感じさせてくれる場所に、わたしは今でも週末に遊びに行き、明日にわくわくするのである。