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自分録

お久しぶりです。絶賛就職活動中、人生の岐路に立っている小娘です。

 初めてnoteを書いてから半年が経った。
想像してなかったくらいあのnoteが様々な人の元へ旅立っていると知ってびっくりしたけど、嬉しかった。
  そして多くの人に出会って、楽しい経験以上に苦しい経験も積んで、悩んで、あの時の自分からは信じられないくらいに社会への価値観が変わったのでもう一度私の“いま”を記しておこうと思う。
 ぐちゃぐちゃな心情、十代の等身大の私。笑ってくれ、これを読む未来の自分。

 まず、社会における自分の幅を思い知った。
「最強の2番手になれ」
  仕事をする中で、そう言われてここまで育てられた。レストランサービスで例えると、お客さんに主にサービスする人がやりやすくなるような裏の仕事をできる人になれ、ってこと。裏がお皿の管理、洗い物、料理を運ぶなどに走り回れば、表ではお客さん一点集中で最高のサービスが出来るようになるよね。ごもっとも。
 だからめちゃくちゃ頑張ってきた。どうにかして使いものにならなきゃって必死だった。洗い物ひとつにしても、サービスだけじゃなくてキッチンもどうやったら都合よく回るかなとか、常にどうやったら早いかを考えていた。
 その結果社員の方に今日やりやすかった、と言ってもらえる事もあってやりがいを感じていたし満足もしていた。
はずだった。

良くも悪くも欲と負けず嫌いの性が出てしまった。

やっぱり最強の1番手になりたい。

 ただ、知識も技術もない、そして踏み込む勇気のない私はそんなこと思っても誰にも言えなかった。この気持ちは伝えなかったから伝わってないだけだけれど、店のことを一番に考えると伝えることに思い切れなかった。私がサービスするより他の人がした方が、お客様は楽しい時間を過ごせるだろう。
 一歩、踏み出さなかった。情けなかった。

その後シェフから、タイムリーに、考えさせられる言葉が投げかけられた。

「自分をわきまえろ」

私はこの言葉を、自分の技術や要領の幅を自分で把握して考えて仕事しろ、という意味で受け取った。
 若いうちから仕事を掴みにいくのが大切なこの業界において、経験が少ないうちに押すのか引くのかの瀬戸際を見極めるのは私には難しく思える。
自分の手に余る仕事を志願して失敗したことは何の評価にも繋がらないし、何よりお客様に迷惑をかけてしまう。しかし自分のできる範囲、安全圏の仕事ばかりしていてもそれ以上の仕事をできるようにはならない。
 この二つの絶妙な合間ををとるためにできることはやはり、人一倍の努力で自信と安心を買うことだと思う。個人的には、休日のんびり過ごすと気持ちはうまくリセットされるかもしれないがそれが技術向上には直結しないことから、仕事の日に不安を煽ってしまう事になる。一方、休日返上で何か一つでも練習したり勉強したりすれば、その分、練習したんだから大丈夫だと自分に言い聞かせられるので、精神的に安定して仕事に取り組めるし、新しいことへの挑戦を後押ししてくれると思う。極度の心配性、完璧主義的な思考。
 でもそうやって経験を積んでいけば、自分の身丈にあった仕事の幅が広がり、自分をわきまえつつ店とお客様のためになる仕事ができるようになるのではないか、
というのが私の予測だ。
 自分が成長して、店にとって有用な人物になって、お客様が幸せになる。文句なしに幸せのループが出来上がる。
「自分をわきまえる」
 きっとこの言葉は料理人として修行していく上で一生忘れないと思う。

 私が今、自分をわきまえて意識しているのは2番手の仕事はこなしつつ、トップに立つ人の仕事を観察したり真似したりする時間を作れるようにすることだ。その人に、「私この仕事をあなたと同じレベルでできます」って胸を張って言えるようになるまで見て真似し続ける。
 1番手を目指すこともしなければ、普通の2番手を超える2番手にはなれない。折れてる場合じゃないぞ。
自分に喝を入れ直して、明日も職場に向かう。

 次。私、芯のある多面性な人間で在ることが理想。
柔らかい雰囲気なのに意外と1本芯が通ってるよねって言われることが結構増えたから多分、ちょっとずつ理想が構築されつつある。
 最初っから芯なんてものはなかったし、もともと感化されやすいから半年前は細くて、ちょんって触ったら折れそうだったと思う。
でも今は、納得がいかなかったら誰が相手でも譲れないラインは意地でも譲らない。そこで気をつけているのは、内面できちんとおさめること。絶対なんてないし、自分の正義に相手の正義を落とし込めないことがあるのは相手からしても同じなんだから、押し付けるようなことはよくない。ただの我が強い生意気女になるのはごめんだ。
 あとは一旦、そういう価値観もあるなって受け入れれる人の方が引き出しが増やせるから、もっと柔軟な頭を持つ大人にならないとなって思う。
色んな人から色んな価値観を聞いて、色んなことを思った上で、いいなって思う要素をピックアップして集めて揺るぎない私が出来上がっていっている。
 つまりすごく大人で経験豊富な人達に囲まれている“自分”は贅沢を極めて築かれた一点物なのだ。

 だから、自分のことは大切にしてあげたい。自分を大事に出来たら、必然的にその自分を成長させてくれた周りの人のことも大切に想っているってことにもなると思う。逆も然り。
 また、できるだけプラスな感情でいられるようにしたい。そこで “多面性な人間”っていう話にも繋がってくるのだけど、どうやったら、自分で自分の機嫌を取れるかを考える。
 私は八方美人をする事が1番自分をご機嫌にする方法だと思っている。
 八方美人というと聞こえが良くないかもしれないが、その場その場で期待される自分の像に、自ら当てはまっていこうとする姿勢って得なことが多い気がする。
例えば、この上司はいじられキャラの後輩が好きなんだ、あの人は真面目に頑張る体育会系が好きなんだって見抜いて、その人の前ではその人の理想の自分になってみる。自分らしくないなあとか思いながらでも。 それで相手が私に接したくなったり、一緒に仕事がしたいと感じてくれたなら、win-winだ。
 だいたい、まだどの顔が私らしいなんて言葉で表せない、つまり理解してないんだから、どんどん新しい自分に出会っていくべきだ。顔が何面あっても問題ないと思うしどれも偽りじゃない。本物の私ってなんなんだろう、とか全然思わない。
たぶん、人間多面性の方が人間っぽくて面白い。

 ここまで長々と語り倒してきたが、その理由としては就職目前にして改めて自分について見つめ直してきたからだ。もちろん、具体的な就職先や面接で聞かれるようなこと、自分がやりたい料理像についても考えている。でもそもそも、自分について理解出来てなければ自己アピールも上手く出来ないはずだと考えて、想像してみた。私ってどこがいいんだろう、どこを直したら大人になれるんだろう、どうしたら幸せに感じるんだろう。
 こういう類のことを咄嗟に聞かれた時に、パッと出てくる人はどれだけいるか。
 沢山考えていたら、今後社会人として生きていく上で、言語化できないでいる自分の一面を明確に捉えることの必要性にも気がついた。本当に料理を使ってしたいこと、尊敬している人の傾向、絶対に許せないこと。
 まだまだ私の頭の中は雑然としすぎていた。

ほんと、自己分析って容易くないんだよなあ。

 これからもたくさんの壁にぶち当たって、悩んで悩んで悩み抜いて成長したい。
頑張らなきゃ、じゃなくて頑張りたいっていう思いだけでここまで積み上げてきた強さで、乗り越えられる自信がある。
 しんどいことも未来の自分への投資だと信じてやり続けてきた過去の私は、絶対未来の私を助けてくれると思う。
 この先自己肯定感をがんがん下げてくるような人に出会ったとしても、根比べをするのが楽しみなくらい、前を向いている自分がいる。当たり前を当たり前に続けていける、そんなパッションに溢れた料理人になる。
 やっていける、やってやろう、今しかない。

外に出ないともったいないくらいのいい天気の日、早咲きの桜を見ながら近所の公園で筍ごはんのおにぎり片手にこのエッセイを仕上げました。最高の気分です。

文章を通して、混沌としている私の頭の片隅を覗いてくださった方、ありがとうございます。

石川 萌

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