マイクロツーリズム()と温泉
コロナ禍において星野さんがバズらせた「マイクロツーリズム」はコロナが過去のものになると同時に過去のものになるかというとそんなことはない。これはそもそも特に新しい概念ではなく、日本人にとってはこれまでも一般的な習慣として根付いてきたものなので、コロナ禍とは特に関係がないし、新しい習慣でも何でもない。そして、それは実は温泉との関係で考えると理解し易い。
まず温泉の定義だが、当然ながら温泉法に定義されており、第二条に出てくる。
ただ、上記のリンク先だと別表が一番下までスクロールしなければいけないので、こちらの環境省のサイトの方が見易い。
しかし、見易いからと言って理解し易いかというとそれはまた別問題である。そのため、ザックリまとめるが、温泉とは、25度以上か、いわゆる温泉成分のいずれかが一定量含まれているもの、ということになる。つまり、温泉成分が含まれていなくても25度以上であれば温泉と言え(単純温泉)、逆に25度未満であっても温泉成分が一定量含まれていれば温泉と言えるのだ。ここまで読んで、あれ?温泉の定義広くね?と思う方はきっとちゃんと頭が働いている。例えば、25度の単純温泉はまずぬるくて加温するだろうし、特に成分的な特徴がないので、言ってみればぬるい水である。一般の方は、温泉と聞いたら①熱くて、②硫黄などの温泉成分が含まれているもの(①and②)を想像するだろうから、この2つの要素を温泉の定義要件とすること自体には違和感を覚えないものの、2要件の関係はandではなくorだし、①のハードル自体がだいぶ低い。
このように温泉はかなり広い概念なので、そのことが日本中に多数の温泉地・温泉旅館があることの一つの要因になっていると考えられる。日本人にとって温泉は物理的に身近なものだから1泊2日でサクッと行けるわけだ。これだけで終わると、なにやら温泉をディスるnoteになってしまい感じが悪いのでもう一つの視座も示すが、一般的にイメージされる高温で温泉成分がバッチリ入っている温泉では1泊2日の滞在でも十分に効能が得られるのだ。他にも多数あるが、例えば、こんな論文もある。
https://onsenchiiki.jp/wp-content/uploads/2023/02/%E7%AC%AC8%E5%8F%B7.pdf
もちろん湯治として、農閑期に数週間に渡って温泉地に滞在する風習もあるにはあるが、それはどちらかと言うと病気療養を目的としたもので別物と考えるべきである。物理的に身近にあって、サクッと効果が得られる温泉に入りに行くのは1泊2日で十分なのだ。Micro-tourism is all around you and so the feeling grows.