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現代の諸葛亮は人生三分の計を説く

2世紀から3世紀にかけて後漢が力を失った中国において、漢王朝の血を引く劉備玄徳が三顧の礼で迎え入れた天才軍師が諸葛亮孔明である。

三国志を読むと彼が天才である証拠はそこら中に出てくるが、個人的にもっとも感銘を受けたのが天下三分の計、すなわち、平安の世を願う劉備に対して、武力によって天下を統一して平和をもたらすのではなく、拮抗する三国を成立させることで互いに緊張感・戦争抑止力を持たせ、実質的な平和をもたらすという孔明の策である。これは天下統一よりも実現へのハードルはだいぶ低い。当時、一国の太守(日本で言う大名のようなものと思っていただいて差し支えないだろう)ですらなく、その客人と言えば聞こえがいいがただの居候であった劉備が「これならできる!僕にもできる!」と希望に燃えたであろうことは想像に難くない。ちなみに、当時の劉備は40代半ば、中年ど真ん中であり、ちょうどこんなことを↓言っていた時期である。孔明の献策により中年クライシスから救い出された劉備はダイエットに燃えたはずである。

髀肉之嘆
中国の三国時代、劉備(りゅうび)という人が長い間、戦闘に出ず馬に乗らなかったために、脾肉(ももの肉)が肥えてしまい、こころざしを果たすことができないことを嘆いたという故事から、自分の本領を発揮する機会がなく、いたずらに時間だけが過ぎてしまうのを残念に思うこと。力を発揮する機会が得られずくやしく思うことをいう。「髀肉」は「脾肉」とも書く。

『蜀志(しょくし)―先主伝・注』に、「九州春秋曰(略)備曰、吾常身不レ離レ鞍、髀肉皆消、今不二復騎一、髀裏肉生、日月若レ馳、老将レ至矣」とあるところから。

https://imidas.jp/fourchars/detail/X-01-S-27-5-0001.html

さて、髀肉之嘆をかこつ中年は現代日本においても少なくはないだろう。そんな皆様に向けて、現代に甦った天才軍師として(自意識過剰)一つ献策したい。天下三分の計ならぬ、人生三分の計だ。まず、自分が生まれた時の家族とともに過ごす時代。次に成人して自分で家族を築き子供を育てる時代※。最後にもう一度ゼロベースで考えて理想の過ごし方を実現していく時代。それぞれ25年から30年ずつで、ちょうど人生を三分割するのに適当な時間軸だろう。「家は3回建てないと理想の家にならない」という格言があるが、家ですら3回建てないと理想の家にならないので、いわんや生活をや、だし、サードプレイスの概念が提唱されてずいぶん経つが、これは究極のサードプレイスとも言える。

※本稿はDinks向けの内容ではありません。

こう整理すると何がいいのか。メリットもやはり三つある。まず、将来に希望が持てる。Oniyomeに虐げられている全中年Donguriたちよ、来世で木になる前にまだ次がある。次に、期間限定のプロジェクトと考えれば、逆に今を楽しもうというマインドにもなれるだろう。第二期の主たるミッションは子育てであり、将来に向けた子供とのリレーションの構築がもっとも大事である。一期一会である子供の学校のイベントにも積極的に参加しようという気になるだろう。そして、なによりダイエットをしようという気になる。第三の人生に向けて新しい伴侶がいた方がいいと思えば、十分なモチベーションが湧いてくるだろう。アマプラで観始めたコレが意外とつまらなくて、つい片手間でこんなことを書いてしまった。


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