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ジュール・ルナール『にんじん』について

 自分がルナールを知ったきっかけは国語の教科書である。色々な特徴をもった詩がいくつか紹介されている単元にて、ルナールの『蛇』という詩が紹介されていた。その内容というのが、「長すぎる」の一言だけなのだ。この一言だけで、実に様々な疑問が湧く。ここで出てくる蛇の種類は何のことを言っているのか、実際の長さはどれくらいなのか、そもそもなんでこんなことを詩に表現しようと思ったのか…とにかく、このルナールって人は只者ではないと勝手に思っていたのだ。

 そのルナールが書いた有名な小説がこの『にんじん』である。聞くところによると、ルナールの自伝的な作品らしい。これが自伝なら、ルナールはなかなかハードな少年時代を過ごしたんだろうと思う。なぜかというと、ここに記されていることは完全に児童虐待にあたるからだ。

 とにかく母親がひどい。息子に「にんじん」なんてあだ名を付けている時点でどうかと思うし、おねしょしたシーツを洗った水をにんじんの飲むスープに入れたり、おねしょしやすい体質のにんじんの部屋から尿瓶を隠したり。こんな明らかな虐待だけでなく、普段からにんじんじ接するときの態度が冷たい。

 物語の終盤までこういった陰湿な虐待が随所にあるので、最後ににんじんが母親に反抗する場面はとても爽快である。なんか、今までの陰湿さはすべてこの場面のための振りやったんちゃうかと思うくらい、すかっとする。

 1つ付け加えるとしたら、現代において母親が専業主婦ではなく働いていることが多いため、仕事の多忙さと育児の大変さでストレスを溜めやすくなっていると思う。その点から、仮に虐待を行なっている母親がいたとしても、「虐待は悪い行いだからお前は母親失格だ!」と短絡的に決めつけてしまうのは違うと思う。本作は100年以上前のフランスを舞台にしているが、それでも母親をすぐさま人でなし扱いするのはやめた方がいいと思う。なぜなら、この母親も、母親自身を追い詰め、虐待に駆り立てるような事情があるかもしれないからだ。

 もちろん、虐待は悪いことだし、虐待を受けた子どもは本当にかわいそうだ。しかし、親の事情も汲んだ上で考えないと、虐待は減っていかないのではないか。

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