【日記】水ダウのS-1グランプリから感じたことについて
少し前だが、「水曜日のダウンタウン」にて、S-1グランプリなるものが行われた。Sは「スベリ」のことで、最も面白くない芸人を決めようという企画だ。
この企画で優勝したのが、エンジンコータローという芸人だった。俺も妻と一緒に番組を観ていたが、本当に面白くなかった。面白くなさすぎて、なんだか観ているこっちが辛くなるほどだった。
しかし、俺や俺の友達も、このエンジンコータローのようになり得たかもしれないと、心のどこかで少し思った。
エンジンコータロー氏は、大阪芸大の落研出身者だそうだ。調べてみると、どうも落研の創設者らしい。もしかしたら、学生時代は大学の落研でちやほやされ、自分は才能があり面白い男だと思い、芸人を志したのかもしれない。直球で言うと「勘違い」というやつだ。
これは俺の推測だから、氏が芸人を志した理由は分からんけど、もし上記の通りだったとしたら、俺にも身に覚えのあることなのだ。
大学時代、俺は軽音サークルに所属し、ギタリストとして活動していた。自慢じゃないが、サークルの中では俺は結構ギターが上手い方だと認知されており、ちやほやされていた節がある。天狗になって浮かれていた感も否めない。
しかし、大学のサークルや同好会などの内輪ノリであれば、こういうことは起こりやすいと思う。実際、サークルでは天狗の俺以外にも、天才ぶってるやつとか、(芸術的・鬼才的という意味での)変態ぶってるやつが少なからずいた。
俺の場合、サークルから飛び出して関西圏のライブハウスに出るようになったことで外の世界を知り、自分は大したことがなかったということが知れたのでまだよかったが、多分当時のサークル仲間の中には、未だにこじらせているやつもいるんじゃないかと思うのだ。
今思うのは、俺にとっては「自分は大したことがない」と思ってからが勝負だった気がする(生きていると、大したことないと何回も思い知らされる)。そこから、自分なりの生き方の模索が始まったと思う。それは、家のことも仕事もある程度軌道に乗った今でも続いていると思う。人生には色々な側面があるし、そもそも人生なんてどうなるか分かったもんじゃないから。
なんかよく分からんが、水ダウを観て、こんなことを思った。