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ミッシェル・ガン・エレファントについて

 最近、家でも車内でもミッシェル・ガン・エレファントをよく聴く。昨日なんか、子どもたちが寝たあと、ラストライブのDVDを何年振りかに観た。たまに来る「ミッシェルが聴きたい時期」なのだ。

 この機会に、自分とミッシェルの出会いについて振り返りたいと思った。

 自分がミッシェルを知ったのは多分高校1年のときで、当時テレビ東京でやってた「ジャパン・カウントダウン」という深夜音楽番組で知ったと思う。そのとき、ラストアルバムである「サブリナ・ヘヴン」が発売されていて、その特集でメンバーがインタビューに答えたり、「太陽をつかんでしまった」のPVが流れたりしていて、すごくかっこいいなと思った。

 少し後に、伝説のミュージック・ステーションにおける「t.A.T.u.事件」があり、自分はリアルタイムで目撃した。有名な事件なので詳細は割愛するが、あの日テレビで見たミッシェルのかっこよさは衝撃的すぎて忘れられない。他の出演者たちが「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」でノリまくってたのもよく覚えている。

 それ以降、地元のレンタルビデオ屋でベスト盤を借り、本屋でスコアを買って、ミッシェルの曲をギターでコピーするようになった。自分が曲がりなりにもカッティングができるのは、アベフトシのおかげだ。最初はめちゃくちゃ難しかったが、大学生のころにはコピーバンドで「シャンデリア」がそれなりに弾けるくらいになった。

 大学で大阪に進学し、バンドサークルに入ったが、そこでもミッシェルはロックンロール好きの共通言語だったと思う。サークルで特に仲良くなった人たちは、大抵ミッシェルを通っていた。前述のように、コピーバンドも何回かやった。ユニクロの黒シャツと入学式で着たスーツのスラックスと革靴を履いてステージに立っていた。それでも、気分はアベフトシだった。

 アベフトシの死はとても悲しかった。勝手な解釈だが、とても一本気でまっすぐなプレイスタイルだっただけに、活躍できるバンドを選ぶ人だったんじゃないかと思っている。晩年は吉川晃司のバンドに入るという話があったと聞いているので、そこも含めて、ミッシェル以外の場で活躍するところをもっと見てみたかった。今でも大大大好きなギタリストだ。

 今、アルバムを発売順に聴いていっている。「ギヤ・ブルーズ」「カサノバ・スネイク」あたりで音の激しさが頂点に達し、その時期の迫力も好きだが、初期の荒削りな感じ、後期の落ち着きかつ多様な音楽を取り入れようとしている感じも大好きだ。当時のメンバーが何を指向していたのか、何度も聴き直す価値のあるバンドだ。

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