教わる力
音声配信アプリ「Spoon」 のNEXT RADIO STARの企画の第2週(#4~6)のテーマは「教わること」。ラジオを振り返りつつ、視覚的にも整理してみたい。(いわさき・記)
盗む
世の中には、「教えてくれる人」がたくさんいる。昔から馴染みがあるのは、学校や習い事の先生。最近ではYouTuberが動画で教えを配信してくれていたり。親や友達に教わったりすることもある。
「教わる」ことは、何かを習得する簡単な方法だと思われがちだ。自分だけで模索しながら習得するのは難しさがあるから。しかし実は、教わる側の「キャッチ力」こそ、かなり大事で難しいのではないか。先生の意図を汲み取らないと習得できないし、「一を聞いて百を知る」が起こりうるのも聞き手次第。「キャッチ力」があれば、究極「教え手」がいなくても、「教わる側」が勝手に技を盗むことで「教え」が成立する。だんだん、「教わること」とそうでないこととの区別が分からなくなってきたが….、このテーマを話すことになったきっかけは「教わることは盗むこと」という気づきである。
学び vs 教え
違いは?
今回のラジオでは明確に区別しなかったが、先生がいてカリキュラムが明確にある状態を「教え」、学び手が好奇心のままに、または誰かの背中から吸収することを「学び」と分類したい。どちらも、習得者の「盗む」姿勢が必須であることが共通であるが、違いは結構大きい。
「学び」の条件は学び手の好奇心。世界というinput源から無制限に習得できる。一方、「教え」の条件は、教わり手のキャッチ力。input源は先生の形式知であるから有限である。(ただし、コミュニケーションを通して先生の暗黙知にアプローチできれば習得内容を増やしていけるかもしれない。)
アウトプットに関しては、「学び」の評価は、自己申告でよいのでは?という話もした。inputした時とは全く異なる文脈であっても、習得内容をいかに活用できるか?をアピールすることが評価のポイントだろう。一方、「教え」の内容をテストするのは、inputしたカリキュラムの文脈が分かっているかが、評価のポイントである。テストの出題範囲も、基本はカリキュラム内に限られる。
教えが必要な時
「教え」で得られることははかなり限られているようだが、先人たちの経験や知識を最大限に活用するための仕組みとしては、大事なプロセスである。「教え」があるおかげで、私たちは常に進歩し続けられるのかもしれない。だが、「教え」だけでは先人の踏襲にしかならない。
学びの面白さ
自分でカリキュラムを組んで学びたいことを学ぶことで、新しい道を開拓できるし、自分なりの成果をあげることができる。「教わる」をテーマに選んだものの、油断すると「学び」の面白さに盛り上がってしまうことの多い週だった。特に、「教え」がベースの学校生活で、さいとーがいかに「学び」の時間を満喫していたかは、聴きどころ🐇
「学び」のやり方は人それぞれで、それぞれの大事にしたい価値観が反映される。「学び」とは、いかに生きるか?を考える時間でもあるのだと思う。
ドラマ『29歳のクリスマス』にこんなセリフがある。
さいとーが好きな言葉だ。「学び」はきっと、今の自分を好きでいるための大事な行動になるだろう。私(いわさき)も、大学で卒論を書いた「学び」が、今後大事にしたいことを発掘するためのとても良い機会になったことを思い出した。あらためて「教え」「学び」「人生」「教え」、これらは全部つながっていて、その関係性を考え続けていけると、面白いかなと思っている。
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