法の下に平等って?
時間はいつの間にか過ぎて、3人暮らし2度目の夏休み。
私はなんと、フリーターになっている。
離婚調停はこちらの要望は一つも通らないまま、ただただ回を重ねてる。
約月1回、毎回約2時間、交互に意見を出し、調停委員に話し、を、繰り返している。
私はもう、希望を出すのをやめることにする。
こちらの主張や要望は、何も通らないのだし。
ここまでの個人的な経験だけでしかないから、裁判所の皆さんには大変申し訳ないのだけれど、法律とは、法の下に平等というのは、加害者には有利なんだと思う。
私は、私の弁護士さんと、いつも真剣に話し合ってきた。話し合いながら時には感情的な自分を抑えられず、声をあげて泣いてしまった事もあったし、先生には、『弁護士なんて超ちゃんとしてる職業に就いてる方には、私の気持ちなんてわからない』的な暴言も吐いてしまった事もあった。
こんな、離婚調停なんて、“時間だけかかるお金にもならないような手間のかかる案件”を引き受けて下さってるだけでもありがたいのに、当たりどころのない私はただ優しい先生に八つ当たりしてしまったんだと思う。
そんな私に、私だけじゃなく子どもたちにも親身に寄り添って、的確なアドバイスをいつも下さる先生と、私はいつもベストを尽くしてると思う。
考え得るベストな方法で、意見を伝えているのに、こちらの主張や要望は、相手には通らないのだ。
話が通じない。
そもそも、夫はそういう人だった。
理不尽なことばかり。こちらの希望なんか、よほどお膳立てしなければ、通らない。そんな日常だった。
私は、私の心を希望を変えることにする。
私の主張なんかしなければ、終わるはず。
私は、自宅を出る選択をしたことで、自宅も自宅にあった何もかもも失ったけど、子供のために貯金として積み立てたきた学資保険だけは、子供たちのために渡して欲しかった。
学資保険は夫婦の共有財産だから、こちらに全部渡す、は、叶わない主張なんだそう。
法律がそうなら、どうせ従うしかない。
主張なんて、すればするほど時間の無駄だとよくわかった。事情なんて関係ない。
話のわかる方が説得される。
わけわかんないやつはスルー。
わけわかんないやつはたとえ児童虐待案件の加害者でも、「本人が言ってるから」、と、あからさまに嘘であれ何を言っても守られる。
それが法の基に平等な“調停”なんだと思う。
私ももう自分や子供たちを被害者と思うのをやめにすることにした。
私には子供たちがいるんだもん。
つくづく思う。
私のしあわせは、子供たちがいないと得られない。
私はもう自分1人にはなりたくない。
私は、私1人のためには生きられないんだと、がんばれないんだと、知ってる。
よく思う。
長男が生まれてきてくれた瞬間をよく覚えてる。
その日から私はぜんぜん寂しくなくなった。
次男が生まれてきてくれて、私と長男には笑顔が格段に増えた。今でもそう。
何もないこの暮らしに、次男はいつもおもしろいことを見つけ、一生懸命に今を生きている。
この先夫にお金が入っても、子供たちとの日常は永遠に戻らないんだから。
もう終わった話にして、私は私ができることをやっていきたい。
私には子供たちのしあわせな顔が、自分のしあわせ。