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不思議な老人からの教え その⑨ 老人の正体とは? 好きな事を仕事にしろ!

この老人と暮らし始めて、どれくらいの月日が経ったのか?
半年くらい経った頃だったと思います。
僕は相変わらず、朝早く眠い目を擦って起きて、車に乗り、ホノルルまで走り会社に行く。
会社でバンに乗り換えて、ワイキキのホテルへ向かってゴルフ客を乗せて
ゴルフ場に行く。
毎日毎日、その繰り返しでした。

その頃の楽しみは、なんだったけなあ?

いくら思い返しても、思い出せないのです。
もしかしたら、楽しみがなかったのかもしれません。
ただただ、自分の時間を金に変えていただけかもしれない。

女性との出会いも、わざと 絶っていたし、酒は辞めました。
タバコは吸いません。
ハワイはギャンブル禁止の州なので、賭け事もやりません。
スキューバダイビングも、辞めました。
全てお金がかかる事だからです。

変人ですね、、と思われていたかもしれませんが
まずは、種銭を貯めなきゃ!と誓ったから、頑張りました。

ああ、、そうそう。そうだ!

朝、ゴルフ客を、ゴルフ場で降ろしてから
会社に戻るまでの帰り道に、ガソリンスタンドに寄って
社用車のバンのガソリンを満タンにします。
アメリカのガソリンスタンドには、必ずコンビニが併設されています。

そのコンビニに寄って、ガソリン代を払うのと同時に、よく、スニッカーズとコークを買ってました。

よく映画の一場面に出てくるでしょう?
ベストキッドでも、
「ガソリンスタンドで3人の労働者を叩きのめすミヤギ」
のワンシーンで、スタンドでチョコレートを買ってましたよね。
あ、古い映画なので、知らない人も多いかもしれませんね。

そして、僕は
ガソリンを満タンにした後、会社に戻るまでの道のりは、ユックリ運転しながらスニッカーズとコークの、「一人おやつ時間」を楽しんでいました。

人間の適応能力と言うんでしょうか、その時に置かれた状況の中で、それなりの些細な幸せを見出せる物なんですね。

ゴルフに来るお客さんたちの多くからは、

「楽園ハワイで生活してるなんて、羨ましーい!」

とよく言われました。
側からは、そう見えるのかもしれませんが
実際は、僕のハワイライフの唯一の楽しみは、「一人おやつ時間」なんて、誰にも言えませんでした。

ある日の休日。
広い家のリビングで山根さんと話していた時に、

「仕事ばっかりして、忙しいね、、そんな仕事、いつまでもやってたら
自分の事ができないよ」

と急に言われたんです。

仕事をしないと、お金が貯まらないから。仕方なくやっているんですけど。。
と言おうと思ったけど、黙って聞いてました。

「そんな仕事」って。ゴルフツアー会社の人が聞いたら怒るよ。
と思いました。
山根さんは、結構ズケズケと何でも言う人です。
しかし、「そんな仕事」って言われても、僕は全く頭に来ませんでした。
それは、実際、自分でも仕事愛がなかったからでしょう。

そうだ、このチャンスに
山根さんの仕事を聞いてみよう!と思い立ちました。
いつもこの老人は、家にいるかと思うと
出掛けて数日間帰ってこなかったり
しょっちゅう日本にも行っていました。
彼の行動から、いったい何をしている人なのか全く読めませんでした。

僕は、
「山根さんはどんな仕事をしているんですか?」
と直球で聞いてみました。
すると、彼は答えは言わずに、また逆質問をしてきたのです。

「今の仕事、ゴルフ屋の仕事は好きでやってるのか?」
と。
僕は、
「正直、全く好きじゃないけど、お金の為に仕方なく。」

と答えました。ゴルフはやったことはあるけど、全然ハマらなかったし
自分には合ってないな、と感じていて
特に自分からゴルフをやりに行きたいと思った事はなかったのです。

「好きじゃないんだったら、時間がもったいないから、今すぐ辞めて、好きな仕事をすることだ。
俺は、今まで好きな仕事が出来なかったから、これからやるよ。」

と山根さんは言いました。

これからやるって、もう年寄りなのに?

山根さんは、初めて自分のバックグラウンドを話し始めました。
その時の会話はこうです。

山根さんは元々、子供の頃から工作などが好きで、家の簡単な造作家具とか
物置などをいとも簡単に作ってしまいます。
あとは庭の手入れとか、そういう力仕事、工作作業が昔から好きだった、と言うのです。
でも、若い時に両親と兄弟と共に、家族全員でアメリカに移住することになり、父親がアメリカ本土のレストランを買い取って、家族経営をしていた。
そして、山根さんも、そのレストランで必死に働いた。
仕入れも調理もサーバーも全てやった。
朝から晩まで、何年も何年も休み無しで働いた。
オヤジ(山根さんのお父さん)がワンマンだったので、言う通りに動いた。

結果、その家族は、アメリカ全土にレストランを持つようになって、今では、山根さんもそのレストランチェーンのオーナーの一人だと。
要するに飲食業のプロだ。
アメリカ全土、ハワイにも沢山のレストランを持っていると言うことでした。

しかし、彼が言うには、

「オレは飲食が好きでやってた訳じゃない。オヤジの言う通りにやってきて、今のこの姿になった。だから、これからは、自分が好きな事をやっていく。」

その好きな事とは、

「世界中の好きな土地に、自分がデザインした家を、自分の手で何年もかけてコツコツ作る事だ。」
と。

「今までの経験で言うが、好きじゃない事で金を貯めるより、好きな事をしながら金儲けしたほうが心が豊かになる。そんなゴルフ屋なんか辞めて、好きな事を仕事にしろ。」

僕は、その山根さんの話を聞いて、すぐ、月末でゴルフツアー会社を辞めることにしました。
でも、次の仕事を探さなくては。。

その頃のハワイの求人は、「ハワイ報知」と言う日系新聞が主な情報源です。ハワイ報知の求人欄を毎日見ていて、これだ!!と、見つけた仕事は
「ワイキキの時計店にて高級時計のセールス」
でした。
山根さんから教わった時計の知識を詰め込んだ事と、アンテイコルムオークションのカタログを毎日のように読み漁っていたおかげで、時計の知識はハワイで一番!と言うぐらいに詳しくなっていましたし、中古時計を修理しては売って儲けて、という副業をしていた事もあって、僕は知らず知らずのうちに、時計が好きになっていました。

翌週。

ワイキキのロイヤルハワイアンショッピングセンターの1階、真ん中あたりにある時計店で、その時計屋さんの社長と会い、面接を受け、すぐに入社を決定していただきました。時計知識が役に立ちました。

後から知ったのですが、その時計屋は、色んな意味で有名店だったのです。

翌月から、ゴルフツアー会社を辞めて、僕は時計店のセールスをすることになります。
















































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