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悪意は見えるという話

   誰でも人の悪意を感じ取ることは出来ると思う。あぁ、この人は私のことが嫌いなんだなと感じたり、意地悪を言われてるんだなとわかったり。
   受け止め方次第と言えばそれまでだけど、ポジティブに捉えすぎて、もっと酷い状況になることもあるのだから、悪い状況になるのを避けることができるのならば、避ける方が生きやすいとは思う。
   もちろん、それが勘違いで気のせいだったとなれば、それで解決だが、大方、悪い勘は当たる。

  自分が人の悪意を明確に認識するようになったのはいつからだったか。
   3歳くらいの頃、近所の子達の悪意で知らない場所に置き去りにされた事があったらしい。けれど、その記憶は無い。1人で泣いていている所を捜していた祖母がみつけてくれたそう。とんでもない近所のクソガキどもで今であれば倍返しだが、どこの誰か名前も知らず、けど、多分、ろくな人生送っていないであろうと思う。

   幼稚園の時、同じクラスの子達に集団で嫌がらせされ、性的虐待間際の事をされていたのは覚えてる。子どもも大人もえぐい事するのは本能なんだろうか。子どもの方がタチが悪いこともある。身体の小さな私と知的障害を持つ子が標的にされていた。
  あの時は確か、やめてと言いなさいと母親に言われ、それを実行し、保母さんにも伝えて収まったのだと思う。
  しかしながら、あの時の太った女の子の悪意に満ちた目つきや面白がる4、5歳児の声はしっかりと覚えてる。

   今で言えば発達障害気味だった私は親戚の叔母からも嫌味を言われていた。
   〇〇ちゃんは、小さい頃落ち着きがなくて大変だったわよねと上品で優しそうなおばさんが慈しみではなく、蔑みで目を細めて笑っていたのも覚えている。

   父は高校教師、母は専業主婦、娘が2人で上のお姉ちゃんは優等生、下の子は私と同学年という家族が近くに住んでいた。その母は、よく遊びに来て、何が楽しいのか、私の部屋まで聞こえてくるくらいの大声でよく笑っていた。私はその親子が好きでは無かったけど同学年の女の子は賢くて、クラス委員も務め、私にも優しかった。休みの日に、その親子が一緒に釣りに連れていってくれると言う。すごく嫌だった。なぜなら、その母親が私のことを蔑んでるのは、普段の会話でも聞こえていたし、私に接する表情で知っていたからだ。
   嫌だなとはいえず、連れていかれた。常に上から目線で、優秀な自分の娘と比較しているのを小学生ながら感じていたが、自分が劣っているから仕方がないのだと思い、肩身狭く過ごしていた。

   嫌な幼少時代に思えるけれど、そういうことがあったから、人の悪意や嘘に敏感に育ったかもしれない。

   人は好意は隠すけど悪意は隠せない。どんなに隠してるつもりでも、どこかに現れてしまう。声だったり仕草だったり、話し言葉や顔の表情や態度。それを見るのは苦痛だった。嫌なものを見る目つき、仕事だから仕方なく話をする態度。その度に心は深く傷ついていたが見て見ぬふりしていた。心を殺して生きてきた部分は沢山あると思う。

   コロナ禍になり、ウェブ会議が増えた。zoomで会議する時、私は人が写っているウィンドウにワードやPDFを開いたウィンドウを重ねて声だけ聞いている。なぜならそれで情報量は十分だからだ。エンジニア界隈、ビデオを切って会議する人も多く、それでも十分、仕事は回ってる。
   けど、やはり多くは顔を出すのが当たり前信仰に捕らわれていて、どう見えるかまで意識したビデオ会議が繰り広げられる。息が詰まる。だから私は相手の上に資料を重ねて見えなくして話している。
   声だけでもこの人がどんな意図で話してるのか十分伝わるのに、顔まで写したら、内心までもろわかりだ。。身だしなみには気を使うのに、自分の感情がダダ漏れなのに平気な人達の顔まで見ると情報過多に陥る。

   マスクも私にとってはちょうど良かった。それまでは、言ってることと内心がズレてるのがモロバレな人たち相手にコミュニケーション取るのが辛かったのだが、口元を隠すとモロバレ度は若干、下がる。苦痛は和らいだ。

  コロナ禍中に物事の見方も変わった。それは目で物事を見ないようになったこと。普段の生活で視覚に頼りすぎず、五感全体でやんわりと物事を捉える。顔を見なくても情報として足りるという経験をしてから、リアルでのコミュニケーションでも顔はその人の方に向けてはいるが、見ていないことの方が多い。その人をどうやって覚えるかと言うと顔ではなく全体で覚えてる。シルエットや魂の形というか、あり方。そうすることで人の悪意を感じにくくはなった。嘘に関しては声や言葉に、存在としての矛盾が出るので顔を見なくても見抜くことは出来る。

  顔や仕草、言葉に悪意は現れると書いてきたが、SNS上の文章にもそれは現れる。ただ、気をつけなきゃいけないのは、単に文章が下手な人も沢山いる。だから意図はしっかりと確認する必要がある。こういう意図でいってるんですか?と私は確認する。そうすると、いや、そうではないと返ってくる場合もあるので、確認は必要だと再認識した。そして確認することで発言者も自分の意図を再認識することになる。

  私が悪意と認識してるものの多くは誤解だったり、単なる勘違いなのかもしれない。けれど、それを一つ一つ確認するのは難しく、本当のところは相手の真意はわからない。けれど、自分が受け取った感覚は大切にして、慎重に相手との距離を図ることで最悪な事態は避けられるのかなと思う。できれば平和に暮らしたい。傷つくことも避けたい。なら、自分を嫌っている人間と察知したなら潔く、距離をおける強さも必要である。

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