灯台巡り 三浦半島編
皆さん、こんにちは。最近灯台がやたら気になるアラ還灯台ハンターのホタテマンです。
実は先日、青春18きっぷを使って銚子電鉄を訪問し、その際立ち寄った犬吠埼灯台が凄く気に入ってしまって、少し真面目に灯台巡りでもしてみようと思ってます。
その時の記事はこちら。
何故灯台なのかですが、自己紹介で書いてある通り、私の主な趣味は釣り、バイク、旅行(乗り物)、キャンプとお酒です。この中でも釣りにはかなり熱をあげてまして、ここ10年程は磯釣りをメインにやってます。そして磯釣りのポイントには灯台が良く出てきます。実は今回の灯台巡りで立ち寄った観音崎灯台には男女群島の女島にある女島灯台の写真がありました。この男女群島ですが、長崎県の五島列島にある福江島から南南西およそ70キロの東シナ海に浮かぶ島嶼郡で、無人島です。昔はちゃんと灯台守が常駐してたらしいのですが、現在は全自動化で無人です。こんな所、一般人ならば釣り人やダイバー以外に行く機会はありません。更に、同じようなことで伊豆半島南部の静岡県下田市の南約11キロの太平洋上にある神子元島にも神子元島灯台があり、良く灯台リストに載ってます。ここも磯釣り客用の渡船が出ているので行こうと思えば行けますが、やはり釣り人かダイバー以外は行く理由がありません。残念ながら神子元島はまだ行ったことありませんが、男女群島には行ったことがあり、灯台の下のポイントで夜を過ごしたことがあります。
また、最近はフェリーの旅にもハマってまして、長距離フェリーだとランドマークとして灯台が良く出てきます。大洗~苫小牧フェリーの時には青森県の尻屋埼灯台が目視できましたし、有明~徳島フェリーの時には潮岬灯台が目視出来ました。四国と九州を結ぶ国道九四フェリーからは愛媛県の佐田岬灯台が見れました。更に今度行く北海道バイクツーリングでは稚内灯台、宗谷岬灯台、納沙布岬灯台、襟裳岬灯台などにも立ち寄るチャンスがあります。
このように、海に囲まれた日本では全国に有名な灯台があるので旅のテーマの一つとして巡ってみるのも良いかなと感じた次第です。であれば、先ずは地元三浦半島を制覇しなくてはなりません。結論から言うとすべての灯台には行ったことがありましたが、ちゃんと灯台を主役とした訪問はまだだったので、先日メンテを行ったバイクの調子を確認しながら巡ってみました。
今回巡った灯台は次の通り。
諸磯埼灯台
城ヶ島灯台
安房埼灯台
剱埼灯台
観音埼灯台
番外編として、亀城礁灯標と燈明堂を紹介します。
三浦半島を反時計回りに訪問しました。相模湾沿いを北西に葉山、逗子、鎌倉、藤沢方面と進んで行っても、多分江の島までまともな灯台はないと思います。なので先ずはここから。
諸磯埼灯台
諸磯埼灯台は神奈川県三浦市三崎町諸磯にある灯台。
光度:110カンデラ(カンデラの説明は難しいので割愛しますが、光の強さを示す数字。)
光達距離:5.5海里
高さ:20M(構造物)21M(海面から)
点灯年月日:昭和44年4月14日
三浦半島では比較的新しい灯台です。(私より若い!)この近くには三浦半島では一級釣り磯ポイントの「高飛び込み」等があります。
この日は台風7号の影響で海はかなりウネってました。
続きまして、城ヶ島灯台です。この灯台は三浦半島南端沖に浮かぶ城ヶ島西端の長津呂崎にあります。
光度:400,000カンデラ
光達距離:15海里
高さ:11.5M(構造物)30.1M(海面から)
点灯年月日:明治3年9月8日
とても古い灯台です。まだまだ行きます!
次も同じく城ヶ島にある安房埼灯台です。
安房とは安房の国(房州)のこと。房総半島の房ですね。有名な所では戦国時代の里見氏と里見八犬伝でしょうか。城ヶ島の東側にあり、房総半島方面を向いているので磯の名前が安房埼。そこの灯台で安房埼灯台となったようです。
この灯台、実はつい最近まで磯際に建ってたのですが、2020年に現在の場所である県立城ヶ島公園内のピクニック広場付近に設置されました。移設ではなく、新しく作ったようです。古い灯台があった場所もとても良い磯釣りポイントです。
光度:不明
光達距離:13km
高さ:16M(構造物)37M(海面から)
点灯年月日:昭和37年(旧灯台)令和2年3月(新灯台)
城ヶ島の裏もかなり波が高い状態です。
余談です。ここ城ヶ島は「城ヶ島の雨」の舞台なので北原伯秋の石碑があります。
後ろに見えるのは城ヶ島大橋。昭和35年(1960年)に完成した、全長575メートルの橋です。この橋が出来るまで三崎と城ヶ島の間を渡船が人を渡してました。
北原白秋は1913年頃、恋愛問題から城ヶ島の対岸の三崎に住んでいたようで、「城ヶ島の雨」はこのころの作品。後に曲が付けられ歌になり大ヒットし、行楽地として城ヶ島に大きく貢献をしたそうですが、この歌を知っている人も年々少なくなっており、昔のように観光バスを乗り付けて観光客が押し寄せるようなことはなくなりつつあります。
次に行きましょう。
次は三浦半島の東側(東京湾側)を少し北上した松輪地区にある剱埼灯台です。
光度:450,000カンデラ
光達距離:17海里(白光)18海里(緑光)
高さ:16.9M(構造物)41.1M(海面から)
点灯年月日:明治4年1月11日(旧暦)/ 1871年3月1日(西暦)
この剱埼灯台の下も、とても良い磯釣りポイントで、私のホームです。夜釣りがメインの私にとってこの灯台の燈はとても親近感があります。
次、行きましょう!
次は観音崎灯台。日本最古の洋式灯台で神奈川県横須賀市、三浦半島東端の観音崎に立ってます。
光度:77,000カンデラ
光達距離:19海里
高さ:19M(構造物)56M(海面から)
点灯年月日:明治2年1月1日(旧暦)/ 1869年2月11日(西暦)
外に出てみましょう。
第三海堡は嵐で崩れてしまいましたが、一部が横須賀のはまかぜ公園に移設されてます。
敷地内には展示館もありました。
明治己巳年は多分明治2年の意。正月元日なので1月1日。旧暦なので明治2年1月1日。西暦では1869年2月11日。興味深いのが下のローマ字で2月をFEVRIERと表記していること。これはフランス語です。ヴェルニーさんのチームがフランス人だったからだと思います。
因みに余談ですが、幕末の頃、ペリーにより強制的に江戸幕府は鎖国を辞めさせられたのですが、その後明治維新まで江戸幕府を支援したのがフランス。反対に尊王攘夷派(維新政府・明治政府)側についていたのはイギリス。当時、イギリスとフランスは世界中で覇権争いを行っており、他国で内乱を起こさせ、必ずどちらかに付く形を取ってました。よって、アメリカがイギリスから独立するための戦争を戦った際には独立側をフランスが支援し、独立に成功したので自由の女神像をフランスがアメリカに贈った経緯があります。
上の写真にある横須賀製鉄所(造船所)もヴェルニーさんチームの設計で、彼の幕府側の担当者はあの勘定奉行だった小栗上総介。徳川埋蔵金のことを知っていると目されている当時の幕府要人です。(ヴェルニー公園にはヴェルニーさんと小栗上総介の銅像があります。)
話を更に脱線させますが、この観音埼灯台(1869年2月11日)と城ヶ島灯台(1870年9月8日)はヴェルニーさんたちフランスチームですが、1874年(明治7年)11月15日に点燈した犬吠埼灯台の設計はイギリス人のブラントンさんです。明治2年から明治7年の5年間で、お抱え外国人技師が灯台に関してはフランス人からイギリス人に代わったことになります。明治維新のダイナミックな日本の変貌を垣間見ることがこのことからも伺えるのではないでしょうか。
観音崎の由来についてはこの洞窟が重要なポジションを占めているようです。
これにて、当初予定していた5灯台は全て制覇ですが、おまけの2つについて触れます。
先ずはこちら。
亀城礁灯標
横須賀市長井にある荒崎公園の西の沖合1kmの所にある礁灯標
光度:不明
光達距離:5海里
高さ:13M(構造物)14M(海面から)
点灯年月日:不明
写真では物凄く小さくみえますが、実際は13メートルあり、かなり立派です。この辺りも暗礁があるので磯釣りではないですが、ボートでの釣りで良く行きます。興味ある方はグーグル先生の写真をご確認ください。
それでは本日最後となる燈明堂です。
燈明堂は浦賀港の先端にあり、慶安元年(1648年)から幕府によって運用されました。原料は菜種油で、光達距離は4海里だそうです。バカでかい提灯ですね。明治5年(1872年)に廃止されるまで220年間運用されました。
因みに、燈明堂の運営は浦賀の鰯問屋が任されていたようですが、この鰯問屋が扱っていた商品がカリカリに干した干鰯。これは食用ではなく、綿花の肥料として重宝されたそうです。北前船が蝦夷地から乾燥ニシンを大阪に持って帰ってたのと同じ理屈ですね。
現在の燈明堂は石垣以外はレプリカです。
以上、三浦半島灯台巡りでした。如何でしたでしょうか?前述の通り、日本各地に灯台があるので、灯台巡りも面白いと思います。
今回改めて地元の灯台を巡って思ったのは先ず、灯台の重要性です。ペリー代将率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が浦賀に現れ、久里浜に上陸したのが1853年(嘉永6年)、アメリカ、イギリス、フランス、オランダと江戸幕府が結んだ改税条約(江戸条約)が13年後の1866年(慶応2年)。その中に8ヵ所の灯台を作るよう謳われており、第一号が点灯したのが3年後の観音埼灯台で1869年(明治2年)です。タイムラインで追いかけると、恐ろしいほどの変革と改革が短期間で実施されたことが伺えます。また、どの灯台も皇族の来訪碑があることからも灯台が如何に文明開化における重要建造物であったかが理解できました。
ほとんどの灯台が関東大震災で一度倒壊していることも着目点です。
三浦半島には砲台跡が沢山あります。観音崎、走水、猿島、千代ケ崎、砲台山、海堡、等々、先の大戦の傷跡が至る所に残ってます。砲台跡シリーズも良いかもですね。
これからも全国の灯台に一つでも多く訪問できるよう旅程を組んで行きたい所存です。灯台下暗し(実際は蝋燭のこと)にならぬよう、今回のような地元ネタも増やしていきます。
それでは、バイビー!!