ぶらり浦賀散歩
こんにちは。地井さん亡きあと、散歩番組に主演する妄想が止まらないアラ還徘徊不審者のホタテマンです。
さて、釣りが中止になり、日曜日も暇だったので近所を散歩しました。目的は浦賀の渡船に乗る事。だいぶ前に一度だけ乗ったことがあったのですが、御船印も出してるとのことなので行ってみることに。
先ずは丘の上にある我が家から坂道を下って行くと浦賀街道に出ます。街道を左折して緩い下り坂を降りて行くと10分程で渡船乗り場に着きます。が、途中にも見どころはあります。浦賀街道は古い街道なので遺構が所々見受けられるので楽しいです。
三浦半島の最大の弱点は水でした。高い山(最高峰は大楠山 241.3m)が無いので貯水力に限界があることから、幕末に徳川幕府に雇われて横須賀海軍工廠の前身である横須賀製鉄所の建設を任されたフランス人技術者のヴェルニーさんも水を沢山使う製鉄所の為に最初に行ったのが湧水が出る走水から製鉄所までの約6キロにわたり、日本初のアクアダクト(送水路、導水路)の土木工事です。このことからも横須賀の水問題は大きな課題だったのですが、近年では相模川から太い水道管で水を引いて来ているので、問題は解消しています。
この井戸もそのころの名残りでしょう。井戸は至る所にありますが、ピロリ菌も心配なのでほとんど閉めてます。
さあ、緩い下り坂をさらに3分程下ると早速渡船乗り場に着きます。
下船したらブラブラと自宅方面に向けて浦賀港を歩いて回ります。
浦賀駅に到着。ここで乗り鉄豆知識。京急では最初に浦賀までの路線が開通し、その後浦賀湾沿いに久里浜まで延伸する予定でしたが、道が狭く、工事には時間も費用も掛かることから、丁度太平洋戦争中と言うこともあり浦賀駅の3つ手前の堀ノ内駅から久里浜方面に線路を伸ばすこととなりました。このことから、堀ノ内を出て直ぐのポイントを見ると本線は浦賀方面に進んでおり、久里浜・三浦方面は分岐している形になってます。よって、久里浜方面を京急久里浜線と言います。全然今回の散歩とは関係ありませんが、京急ではこのほか金沢八景から分岐する逗子線、京急川崎から分岐する大師線、それと京急蒲田から分岐する空港線の3線があります。
浦賀街道を10分程進み、住友重工の旧浦賀ドックを過ぎると二俣に分かれる信号があります。左が現在のバス道、右に入ると旧道です。
江戸時代、浦賀には奉行所があり、東京湾に出入りする船から通行税を取ったりと色々やってましたが、有名なのは黒船来航時の対応。日本の鎖国政策から見た西洋諸国との最前線基地であったのでしょう。その前からも浦賀港へは多くの日本国内の貨物船(宝船的なやつ?)が出入りしていたので、必然的に船大工も多く、その名残を今も残しています。
因みに鎖国政策下での船舶に対する幕府の規制に関しては司馬遼太郎の菜の花の沖に詳しく書いてありますが、簡単に説明すると船に甲板(デッキ)を作ってはいけないとか、マストの数は1本だけとか、色々あった模様です。これは日本人が勝手に船で外国に出て行くことを阻止する為だったようですが、外国の船は嵐の際海水が船内に侵入するのを防ぐために甲板を作るのは当たりまえだし、マストも一本だと大きくなってしまう関係上、制御の為の舵(ラダー)も巨大化してしまい、制御が難しくなったりするので大小のマストを数本使ってマストと舵両方の操作を駆使して船を上手に操船してました。(宝船の構造は七福神の絵に出てくる船を想像すると理解できると思います。)
そして今の家に引っ越して来てからずっと初詣に来ている西叶神社。由来は確か頼朝の鎌倉幕府開府の時、願いが叶うから叶神社だったように記憶しています。今では叶の字がロ(ろ)に十(と)で語呂がロトになるので宝くじファンが全国からお参りに来るそうです。
因みに、東渡船場近くには東叶神社もあります。大昔は神輿を船に乗せて行ったり来たりする祭りもあったようですが、今はしていません。
東叶神社
西叶神社
後は坂道をテクテク登って帰宅しました。所要時間はおおよそ1時間半程度でした。
今回の戦利品
これにて地元散歩ネタは以上です。まだこの他にも三浦半島を治めていた三浦一族の所縁の場所やペリー来航関連の場所、或いは大戦中の首都防衛の名残りなど色々あるので折を見て紹介していきます。
それでは皆様、御機嫌よう!!!