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バツイチ子供を手放した43歳女の今後の人生はいかに…。

人生の節目。
第3章が始まったのだ。


はじめまして。
今日からnoteはじめてみます。

今日は人生の節目となった気がした。
感情が溢れて、書きたい、と、衝動的に思った。



一人娘の小学校入学式に行って来た。


出産してもう6年が経ったのだ。
37歳で高齢出産。
私も43歳、もう立派なおばさんだ。

娘は元夫と暮らしている。
親権は元夫が持った。

久々に結婚時代に住んでいた土地を訪れた。
いろんなことが思い出され、感情が掻き乱された。
1歳の娘の育児の最中の離婚騒動。
辛かったことを思い出す。
(離婚当時の話はまた今度書けたら書きます。)

離婚したのが4年前。
娘とは2歳で生き別れになった。
親権は取りたかったが、
事情があって泣く泣く手放すことになった。

コロナ感染予防で身内一人しか出席出来ないとのこと。
体育館の外で娘を待った。
終了後、娘と元夫が出てきたが、
保育園から一緒で同じクラスの近所のお友達、そのお母さんと元夫が仲良さそうに談笑していて、なんだか近づけなかった。

自分がよそ者感を感じてしまい、
しばらくその光景を遠くから見守っていた。

離婚した○○ちゃんのママだ。
そう思われるのがなんだか嫌だった。

元夫が私に気が付き、
娘が「お母さん!」と言って来てくれた。
大きなランドセルを背負って、立派な小学生になっていた。


感無量である。


お友達とそのお母さんに挨拶をして、
校門の前で娘と元夫と私で写真を撮った。

元夫は学童のママさん達とのやりとりで
なんだか忙しそうだった。

娘のお友達、ママさんパパさんとの交流。
そうだ、
私には今後そういった経験はできないのだ。
それを見せつけられてしまった気がした。

でもこれが私の人生だ。
仕方がないのだ。

別れ際、
娘と元夫が手を繋いで帰って行く姿をずっと見送った。
娘は今、幸せそうだ。
何よりだ。

娘はお父さんが大好きなのだ。
お母さんはたまに会う存在。
そんな位置付けのようである。
面会の別れ際、お母さんと離れたくないと、
以前のように泣くことは無くなった。

元夫は安定した仕事をしている。
実家も裕福だ。
娘は何不自由なく幸せなのである。

これで良かったんだ。

この子を私が引き取っていたら、
私は当時無職だったから、
きっとひもじい思いをさせていただろう。

うん、
これで良かったのかもしれない。

娘と元夫の仲良く帰って行く背中を見ながら、
私はそう言い聞かせていた。


帰りの道中、
ひとりになって、
バスに乗りながら
なんだかわからないが
涙が止まらなかった。


離婚して4年。
ようやくこの人生が受け入れられるように
なってきた気がしている。
立ち直るのに随分時間がかかってしまった。

子供に恵まれたこと、
出産を経験させてもらったこと、
いろいろあったが、今は元夫に感謝している。


ここからがまたスタート地点。


年齢的にこの先もう子供を生むこともないのだろう。
再婚して出産して子育てしたい願望が
最近は薄れてきて、ガツガツしなくなっている。

また誰かと結婚することはあるのだろうか…。
このままひとりなのかもしれないな。


ただ一つだけ、確実なのは、
「人生はいつ何が起きるかわからない」
のである。


結婚して子供を生んで、
幸せな家庭を築いていける。
絶対そうなると信じていたのだから。


さて、どうなることやら。


今日はキセルを聴きたい気分。

絶望して、何度も死にたいと思って過ごした4年間。

今日も私は生きている。


これからも日常の機微を書いていきます。

あたたかく見守っていただけると幸いです。



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