羨ましいという感情。「誰かよりマシ」はもうやめたい。
私は現在43歳。
子供を手放したバツイチ独身女。
娘6歳。
仕事は派遣社員。
母親はとうに他界。
84歳父親は現在骨折入院中、この先たぶん介護。
羨ましい…。
普通に結婚して子育てして家庭を持って生活している人達が…。
人生が充実していそうでキラキラして見える。
なんて羨ましいんだ…。
この気持ちはたぶんそんなに簡単には消せません。
先日、26歳の女性正社員が1年半振りに育休から職場復帰した。
佐々木希似の容姿。服装もいつもお洒落。性格も明るく面白い。礼儀正しく仕事も出来る。
私の人生で、こんなに順風満帆に生きてる人に今まで出会ったことがなく、けっこうな衝撃を受けてしまった。
正社員。早くに結婚。24歳で出産。
子供が成人してもまだ44歳じゃん!
それに引き換え、私と言えば……、
と、ぐちゃぐちゃと言いたくなってしまう。
それなのに、
こんな私を羨ましいと言う人が現れた。
同じ職場の最近仲良くなった49歳の契約社員の女性である。
喫煙所でたまに会う彼女とは、少しお喋りできるくらいの関係だったのだが、実はお互いバツイチだと知り、一気に仲が深まった。
一緒に暮らしてないけどひとり娘がいることを打ち明けたら、
「いいなー。私子供いないから羨ましい。」
と言われた。
そう、子供のいない離婚者もいるのだ。
人生に子供がいない。
これは、子供を持った私としては、
とても寂しいことだ。
私は想像してみた。
子供のいない人生を。
離婚して本当に独りで生きて行く人生を。
孤独感に苛まれた。
彼女を思えば私の人生まだマシじゃないか。
そう思えば少し楽になった。
でもこの感覚、
失礼極まりない。
すぐに反省した。
誰かと比べればマシとか、
そういう励まし方が私は昔から嫌いだ。
私の両親は1937年生まれ。
太平洋戦争が始まる前に生まれた。
母方の祖父は日中戦争で戦死している。
母は疎開していたサハリンで生まれ、
終戦後本国に引き揚げた。
この世代の人達は子供時代みんな苦労している。
私は子供の頃から不満を漏らす度に母から、
「戦時中の苦労を思えばあなたまだマシよ」
と言われてきた。
「そんなことは分かってるって!」
「それ引き合いに出されても…。」
といつも反感を抱いていた。
そういう励まされ方がなんか納得いかなかった。
だって、次元が違うじゃん。
戦時中と今を比較されても、そりゃあ戦時中の方が遥かに苦労だらけだろうよ。
「戦時中の苦労を思えばマシ」
は私にとっては慰めにはならなかったのだった。
その時代を生きた人と比較して、
他人の人生と比較して、
優劣をつける。
たぶんこの行為が嫌いなんだと思う。
だって、失礼極まりないだろ。
人それぞれ歩んできた道があって、
その中にはいろんな湧き上がる感情があって、
他人の人生は、私には経験出来なくて知らない感情がいっぱいある。
似たような経験をして、あ、こういうことかって、はじめて分かる。
私の母は話を聞けばめちゃくちゃ苦労して生きてきた人だ。
戦中戦後の苦労話聞いて、想像して、つらくなって、やっぱり戦争はしちゃダメなんだよ、と思える。
だから語り継ぐことは大事なんだけど。
話を聞くことが、せめてもの私に出来ることなんだけど。
いくら想像しても、その人の本当の辛さ、
これは体験できないんです。
人は体験しないと、身を持ってその感情を感じ取ることはできないんです。
これは絶対です。
だから、他人の人生に、安直に比較して「マシ」だとか言うのは、私は失礼極まりないと思っている。
あー、何が言いたいんだろう…。
とにかく、
職場の49歳の仲良くなったバツイチ子なしの彼女。
彼女が孤独だとか、可哀想だとか、
そんなことは拙い私の人生経験からのただの想像だ。
だから彼女より「マシ」な私で良かったと思った自分を心から恥じた。
他人の人生とか、そこに起こる感情とか、それらを尊重したら、「マシ」なんて言葉を使うのはナンセンスだ。
羨ましいという感情との付き合い方は、
たぶん人類すべての永遠なる課題。
私もたぶんずっと、消すことは出来ない。
私は他人にもっと敬意を持たなければいけない。
それだけは思う…。
フジファブリック
「ないものねだり」