脇本平也『宗教学入門』を読む 第24回
第七章「宗教的人間観」
実在と出会い、それを受け止め生きていくのは人間である。したがって、この章では宗教的人間観についてみていく
1「人類起源神話」
どんなことであれ物事の起源に対する関心は知的営みの最初に位置する傾向があり、人間の存在の起源についても原始宗教・古代宗教のほぼほぼ例外なくみられる。
普遍的な問題
多くの場合は、死の起源についても触れている。つまり、生と死の起源について言及している場合が多い。
また、世界の起源とも重ねて語られることが多い(世界の起源については後述)
世界のなかにおける人間の位置づけが与えられ、存在が安定する(知的な安定感)。意味のある人生を送ることが可能になる
神話は、科学的な視点で考えると、荒唐無稽に映るかもしれないが、生きること死ぬことの意味を明かす象徴体系であり、人生の安定に欠くことができなかった
どこからきてどこへ向かうのか、人生にある種の方向性、目標の所在を示すことで、生と死の位置づけ、意味づけがなされた
【原人神話】
アンドロギュノスの神話(プラトン『饗宴』より)
アンドロギュノス(原人の一種)、両性具有、完全体
傲慢さゆえに、神によって真っ二つに切り離された
プラトンにとってはこの神話が意味していることが大切
つまり、人間は完全体ではなく不完全であること
片割れを求めることが、人間がもつエロス(愛)の本性
完全を求める不完全な存在=人間
したがって、完全を求めること(自己完成)が、人の生きる意味、目標。
【人間の本性】
人間の起源の問題には、人間の本性についての問題が含まれている
キリスト教を例に挙げる。
旧約聖書(イスラエル民族の創造神話・人類起源神話が前提にある)
創世記の最初に二つの物語が登場する。
古いのは後者。
前者は7日間の創造についての説話。
ポイントは、神の似姿。「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」
なので、ほかの被創造物を支配すべき存在。
後者は、土で人のかたちを造り、息を吹き込んでいのちを与えられたという話。
キリスト教の人間観の根底にあるのは・・・
人間は、もともとは土の塵であったこと。つまり無価値であった
神によっていのちを与えられ、比類なき価値を担うようになった
人間の本性の二重性(ダブルスタンダード)
前者においては「神の似像」(イマーゴ・デイ、Image of God)が人間に価値を与えている
神に似せて創られたとは、人間に自由意志があること。しかし、自由を誤って使ってしまい(蛇の誘惑によって)神に背いてしまった。原罪と死の始まり。
自由(神の似像)が人間の本性を表していて、その自由によって神の栄光をあらわすこともできれば、罪に堕ちることもできるという二重性がある
罪深き存在であるから、悔い改めて、本来の神の似像としての自己を取り戻すことが責務であるという考えにもつながる。
神話は物語でありながら、何か別のことを示唆している(人間の起源について話すなかで、人間の本性についても言及している)
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