脇本平也『宗教学入門』を読む 第26回
第七章「宗教的人間観」
3「自己の問題」
人間の二元的構造
肉と霊、罪と義、迷と悟、闇と光などの表現がある
現状とあるべき姿、理想と現実
人間をどう見るか?という問題には、自己がどう主体的に生きるのかという問題を含む
【霊魂観】
自己=霊魂とする見方がある
人と人、人とモノの出会いは、霊と霊の交わりと考えられる(アニミズムともつながる)
神霊を前提とすることによって、シャーマニズム(神がかりなど)が可能になる
アニミズムは輪廻転生の概念にもつながる。霊魂は生き続ける。死んで肉体が滅んでも霊魂は生き続ける。自己不滅。
霊魂観の類型(さまざまな宗教思想を資料として)
身体霊と遊離霊(身体霊は身体に結びついて、いのちを与える、いかす。遊離霊は身体から離れることもできる)
いろんな種類の霊があるが、なかでも息と霊魂が結び付けられることがある
キリスト教の「神が命の息を吹き込む」とか
息=いのちに不可欠なので、霊魂。つまり霊魂はいのちの源。
火(体温)が霊魂であると考えることもある
ギリシャのヘラクレイトスは、世界の秩序を「永遠に生きる火」とした
霊魂が生命の根本原理として考えられることが多くある
【極大化と極小化と無化】
霊魂としての自己
例:インドのウパニシャッド哲学で説かれる「梵我一如」
梵我一如の「我」はアートマンで、語源的には「息」。霊魂や自己を意味する
「梵」はブラフマンで、もともとはマナ的な力を意味。宇宙の根本原理を意味するようになる
自己の中心「アートマン」と宇宙・世界の中心「ブラフマン」は一つのものだ、と考える
自己が宇宙大に拡大される方向性
小さいものが無限に
反面、アートマンは心臓の内にあって、米粒よりも、麦粒よりも、・・・粒よりももっと微細(極小化)
しかし、大地よりも大であり、虚空よりも大であり、・・・(極大化)
アートマンは極小であり、極大であるという考え。
ギリシャのアナクシメネスの思想:自己と世界、小宇宙と大宇宙、気息としての魂が人間を支えるように、空気が世界全体を支えている(いのちを与えている)
空気は神。極大化の方向において、自己と神が合一。この考え方はキリスト教神秘主義においても中心的な位置を占める
ニコラウス・クザーヌス(ドイツの神秘主義哲学者・キリスト教):反対の一致。神は極大にして極小である
仏教の五蘊無我の思想:極小を徹底すれば、無化される。無・空(極小にして極大、極大にして極小)
五蘊:色・受・想・行・識(色:色ある、形あるもの、受:感受作用、想:観念などの表象作用、行:意志などの形成作用、識:意識などの識別作用)
色:物質的肉体的、受・想・行・識:精神的心理的。つまり、肉体と精神、体と心が人間。
これらは思うようにならない。
どこにも我・アートマンは存在しないのではないか。
五蘊は無我である
【まとめ】
宗教者は、自己というものを、この世的なものとは何か違ったレベルでとらえているように思う。
宗教的実在とのかかわりの地平、大宇宙と一致とか、神との合一とか、無常・無我などの無や空の理法のゆきわたっている場所、などの大いなる超越の場所に究極的な定位置をもつものとしてとらえられている
利己的・自己中心的に生きている自分を乗り越えたところの自己を位置付けている=人間の理想像
その理想像の実現に向けて生きる=人間の生き方
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