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サンタクロースの実在性あるいは「サンタクロースを信じてる?」というナンセンスな問いについて

クリスマスが近くなってきた。
うちの娘はまだデパートのショーウィンドウほどは浮き足だっていないが、静かに楽しみにしている。世界にも同様の子どもはたくさんいるだろう。

誰がサンタクロースの不在を証明をした?

世間には「何歳までサンタクロース信じてた?」という質問が存在する。この質問はサンタクロースは存在しないという"答え"を大前提に発せられる。
しかし誰が悪魔の証明よろしくサンタクロースの不在を証明したのだろうか?
なんて書くとオカルトと同じく「信じるのは個人の自由」とか返されそうだがそういう話ではない。

「学校の先生」は存在するのか?

たとえば「学校の先生は存在しない」と私が言っても誰も取り合ってくれないだろう。「学校の先生の存在を信じてますか?」と尋ねたらほとんどの人は質問に答えるよりも質問者の裏の意図を探ろうとするだろう。

でも学校の先生が昼間の学校にしか存在しない、というか終業後は帰宅して母親、父親、夫、妻もしくはそのどれでもない個人に戻るのは多くの人が認識している事実だろう。
学校の先生は社会の中に存在する"役割"でしかない。

サンタクロース(の影響)は実在している

それってサンタクロースも同じ。
社会に多大な、たとえば経済的な影響を与えているし、その役割を演じている人も実在している。(バイトで衣装を着ているだけの人はちょっと違うかもしれないが)

サンタクロースの非実在性、というか虚構性は空飛ぶソリとか一人で世界中の子どもにプレゼントを届ける(とか真っ赤な鼻のトナカイ)等の部分であって、サンタクロースの精神を体現する誰かによって子ども達がプレゼントをもらっている部分は紛れも無い事実だ。

演じることは子ども騙しでは無い

そうした"子どもがクリスマスに体験すること"には確かな価値がある。それは映画や小説のフィクションで感動することが無意味ではないのと同じだし、子どもの精神に与える影響を考えたら大人がフィクションを摂取するよりずっと大きな意味がある。

だから私たちがサンタクロースについて話すなら、サンタクロースを信じている子どもの精神や、大人が学校の先生やサンタクロースの役割を引き受け演じることの意義について話すべきだし、逆に「サンタクロースの不在」をまるで種明かしのように子どもに話すのは最悪の行為だ。

もちろんソリは空を飛ばない、というまともな見当識を身につけることは重要だが、そのこととサンタクロースをただの子ども騙しだとこき下ろすのは全く別のことだ。

社会は個人の実在性より役割で回っている

学校の先生に限らず、社会の多くのものは個人が役割を引き受けることで機能し、成立している。であればサンタクロースもまた私たちの社会に存在する役割の一つであり、その役割について真剣に議論されることはあっても、少なくとも馬鹿にされたり冷笑されるべき類のものではない。

子どもはいずれ大人になるが、それは個人として社会に存在する役割を理解し引き受けること、つまりサンタクロースになることなのだ。

子どもが"こちら側"に来る時

うちの娘は8歳だが、 サンタクロースを"信じているか"はかなり微妙なところだ。ソリが空を飛ばないことは理解しているし、フィンランドを出発したサンタさんが一晩で世界中の家を一軒ずつ家宅侵入して回るのは無理があるという感覚もある。しかしそれを自分自身の理解としてまとめきれていない状態だと思われる。

そういう状態の子どもに対し上から「答え」をぶつけその世界観を破壊するのはいかにも無粋だろう。
私は娘が"こちら側"に来た時に、ここに書いたようなことをうまく説明できればいいなと思っている。

蛇足:風みたいなもの

風は実在するだろうか?
"風"という物質が存在するわけではない。空気の密度または比重の違いにより空気が移動する現象は実在し、風と呼ばれる。
サンタクロースだって同じようなものだ。

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