一人で好きに過ごすことの贅沢さについて
どうも。本当はぼっちになりたくなかった系のぼっちです。
私は昔から、一人きりでなにか行動をするというのがとても苦手でした。ゲームをするにも、公園で遊ぶにも、学校に行くにも、必ず誰かと一緒がいい!という寂しがり屋でした。
小学生の頃はそれなりに周囲に人がいたので困ることはあまりなかったのですが、中学あたりからぼっちとしての頭角を現していき、高校になるとむしろ一人でいることのほうが多くなりました。
ちなみに、ぼっちには2種類います。「望んでぼっち」と「不本意ぼっち」です。リア充からすればクソほどどうでもいい分類でしょうが、この違いはかなり大きいのです。
タイプ別ぼっちの見分け方
この2タイプを簡単に見分けるコツは、「堂々とぼっちしているか否か」です。
そもそも他人とつるむのが嫌いなぼっちは、一人で過ごしていてもどこか毅然としています。そして自分に自信があるので、意外とモテたりします。
一方、本当はみんなと仲良しになりたいのに、生まれ持ったコミュ障ぶりによってあえなくぼっちになってしまった人は、一人でいるときにビクビクしています。
「目の前で大学生たちが楽しそうに騒いでいる・・・自分は一人だなぁ」
「周りから友達がいないやつだと思われていないだろうか・・・」
というように、一人の時間を満喫する暇もありません。かくいう私もその一人で、「ぼっちのくせに一人でどこかに出かけるのが恥ずかしいから引きこもりさらにぼっち化する」という悪循環の中でかろうじて息をしていました。
そんな私ですが、最近になってようやく「一人って楽しいかも?」と思い始めてきました。
一人で好きに過ごすのって贅沢かも
ぼっちでコミュ障な人間というのは、可愛そうなぐらいに日々ストレスを感じています。普通の人のストレス指数が100だとすれば、我々コミュ障ぼっちは1000を軽く超えるでしょう。
なぜなら社会でうまくやっていけないことで蓄積されたストレスの気晴らし方法が、すべて家の中でしかできないからです。
ネットフリックスかゲームか漫画を読むかです。
最初のうちはそれでも楽しいからいいや、と思っていたのですが、なぜだか充実感がない。時間を浪費している気がしてならなくなってきました。
そこで私は思い切って一人で外に出ることにしました。
一人で優雅に過ごすといえばカフェじゃね?ということでカフェに行きました。
リア充の皆様におかれましては、一人カフェなんて朝飯前でしょうが、ぼっちには結構ハードルが高いんです。
カフェの前に到着したものの、中に入るのが怖くてうろうろする私。しかし、こんなことではいずれ「焦点の合っていない怪しい人が道をしきりに行き来している」と通報されかねない。覚悟を決めた私はカフェの中に入りました。
中は結構混んでいて、一瞬圧倒されそうになりましたが、「大丈夫。私はカフェで優雅にお茶を嗜む一族に仲間入りするのよ」と自分を奮い立たせて中へ入っていきました。
すると、運良く個室しか空いていなかったとのことで、四人席の個室へ通されました。
※お子さまランチの安心感。
「コーヒーたけぇなおい」とぼやきながらもメニューに目を通し、カフェインの飲めない私はカフェインレスコーヒーとフレンチトーストを注文しました。
店内には小さくジャズが流れている。間接照明の淡い光が時の進みをほんの少し遅れさせてくれる。ああ、この感じなんかいいかも。
コーヒーとフレンチトーストが運ばれてきました。
「うわぁインスタっぽいわぁ」とインスタをやったこともないのに呟いて、あっという間に平らげました。フレンチトーストの香りのするげっぷを自分で嗅いだとき、「ああ、一人で好きに過ごす時間ってなんか贅沢だな」と思いました。
私はこれまで、「外に出たくないからゲームをする」「一緒に映画を見に行く友達がいないからネットフリックスで十分」と消去法で自由時間を過ごしてきました。
しかし、自分が本当に好きと思えることに時間を使うことって、本当に贅沢でめちゃめちゃ楽しいことなんだなぁとこの歳になってはじめて気が付きました。
それからというもの、一人で映画館にいって一日に3本も観るわ、気になる展示会に当日思い立って行くわとワクワクする日々を送れるようになりました。
今までのリラックス方法は、どこか自分なりに制限をかけていたから時間の浪費に感じたんだ。本当にやりたい、したいことに時間を費やしたなら、それは素晴らしく贅沢なことなんだ。
そんな当たり前のことに今更ながら気がついて、ラッキーだなぁと感じたのでした。