「EXIT兼近」炎上と日本が抱える病について
お笑い芸人がまた一人、炎上している。といっても、彼が何かをやらかしたわけでもなく、きっかけは「ルフィ」と呼ばれる人物を頂点とする特殊詐欺・窃盗集団が摘発されたことにある。
その被害の規模と人気キャラの名前を用いていたというインパクトも相まって、日々ワイドショーで取り沙汰されるようになった。
そんな中、とある十年前の窃盗事件に関する記事がどこからともなく拡散され始めた。そこには、「ルフィ」を名乗る人物の本名とともに、若者に人気を誇る芸人の名前も並んで記載されていた。
過去にルフィと彼は同じ窃盗事件の共犯として逮捕されていたのだ。
その芸人はテレビですでに過去に犯罪を犯したことを告白していたが、今世間を騒がせている詐欺・窃盗事件の主犯格と共犯関係にあったことはセンセーショナルな話題となった。
彼が過去に犯した罪はここぞとばかり次々に掘り起こされ、その炎は過去に同級生をイジメで転校・自殺に追い込んだエピソードにまで及んだ。
普通であれば、ここまで過去の悪事が世間に露呈した時点で芸能人生は終了確定だろう。
この国では、一度でも過去に失敗を犯したものは徹底的に叩き潰され、日の目を浴びずに影でこそこそ生きろと強制される。
与えられたルールに従うことが得意な優等生だらけの日本では、本来人生において欠かすことのできないはずの”失敗”をいかになくすかということに美徳をおき、「失敗したものにはペナルティを与える」ということに躊躇がない。
いずれ自分が罪を犯す、あるいは今現在誰かを虐げているかもしれない可能性については無頓着で、自分は死ぬまで聖人であり続けると半ば盲信的に思い込んでいる。
だからこそ、他人の失敗を迷いなく批判することができる。
私にも犯罪とまではいかないが、過去に失敗してきた経験がある。たくさん人を傷つけたし、たくさん迷惑をかけてきた。
正直、自責の念に駆られて人生の幕を閉じようと思ったことは数回ではない。しかし、たとえ自分が死んだところで、過去の失敗は消えないし、傷つけた人々が救われるわけでもない。
抱えるには重すぎる罪を背負い、それでもなんとか生きてきたのは、過去に縛られて身動きひとつしないことよりも、これからの人生において一つでも徳を積む(人の役に立つ)ことのほうが、よほど贖罪といえるのではないか、ということに思い至ったからだ。
芸人の彼は、暗く歪んだ青春の中で、数えきれない人を傷つけたかもしれない。しかし、その後芸人となり、より多くの人々に笑いや幸福を届けているのも事実だ。
彼はこの報道があった後でも、決して逃げる姿勢をとっていない。もともと罪を告白していたし、SNSで臆せずに質問を受け付け、丁寧に答えている。
これは、過去の罪から目を背けた人間ができることではない。贖罪の意識を持ち、それを社会に還元することでしか罪を償うことができないと考えている人の態度だ。
過去の失敗はいくら金を積もうが、命を捨てようが、頭を下げ続けようが、変えることができない。
だからこそ、前に進むしかない。過去に対する批判を受け入れながら、謝り続けながら、それでも意地で這っていくしかない。
私が意外に感じたのは、彼を批判する声だけでなく、応援する声も多かったことだ。それは、彼の積み重ねてきた人徳に由来するのかもしれないし、盲信的なファンなだけかもしれない。
しかし、過ちを絶対に許さないという窮屈な世間において、少なからず、理解を示す人間がいるというのはほっとすることだ。
三島由紀夫はこういう言葉を残した。
「人間は過ちを犯してはじめて真理を知る」
過ちを犯した人にしか見えない、至れない境地は必ずある。それが社会に対してプラスになるものであれば、それを応援できる社会であってほしい。
人は皆、綱渡りの上で生きている。誰もが過ちを犯す可能性はある。
罪から逃げずに背負い、それでも前を進んで歩いている者には、もう少し寛容な世の中でもいいと思う。