魂をぎゅっと絞った果汁100%の音楽が好きです。
現代に生きるわたしたちにとって、音楽はとても身近な存在だ。youtubeを開けば無料で好きなアーティストのMVが見れるし、spotifyやapplemusicでは無数の楽曲を聞くことができる。
「誰もが知っている曲」をみんなで合唱していた昭和の時代に比べ、今のわたしたちには共通言語となる音楽は少ない。ジャンルが細分化されすぎており、人によって好みがさまざまだからだ。
ある意味では、わたしたちは音楽難民とも言える。メディアのゴリ押しが通用しなくなってきているから自分で自分に合った音楽を探すしかない。
とはいえ、現代においてもある程度の「これは聞かれるだろうな」という人気の楽曲は存在しており、現代人はとりあえずオリコンチャートを辿って乗り遅れないようにと聴くのである。
しかし、私ははっきり言ってオリコンにランクインする楽曲を聴いても満足できない。もちろん人気だからそれなりに良い曲もたくさんあるし、技術も高いものが多いと思う。
だけど、万人受けする曲というのは反対に”万人にしか受けない”ということでもあるのだ。そういった曲は”たった一人”に深く突き刺さるには、いささか抽象的すぎることが多い。私はそういう音楽が数年後も記憶に残っているとは思えない。
義理チョコをクラス全員の男子に配っている女子からもらっても一ミリも感動しないのと同じことだ。翌日にはチョコのことなんて忘れ去ってしまう。
私が欲しているのはたった一人に向けた本命チョコなのだ。明確に手渡したい人を想像して、誠意を込めて思いを届けようとする。半ば魂を削っているかのような苛烈な音楽にこそ、私は救いを感じるのだ。
竹原ピストル、ジャニス・ジョプリン、椎名林檎、THE BLUE HEARTS、レジーナ・スペクター、神門、尾崎豊、アイナ・ジ・エンド・・・
聴く時にこちらも相応のエネルギーを要するような歌こそ、本来の意味で人類が紡いできた文化なのではないだろうか。
そんな小難しいことを考えていると、時々音楽とはなんなのかわからなくなる。わからなくなったときはとりあえず「しゅきぴ」を聴くことにしている。
しばらく聴いていると「音楽ってべつになんでもありじゃね?」と菩薩のような気持ちになり、最終的には音楽に貴賤はないという境地に達する。
ここまで語っておいて全てを覆すようなことを言うが、どんな音楽もやはり良いものである。うん、別に音楽に正解なんてないのだ。しゅきぴだ。