皆木 綴という男

はじめに


ほたるです。お久しぶりです。
観劇感想を文字起こしするのが面倒すぎて、ラジオアプリに切り替えたことでnoteに登録していることすら忘れておりました。

突然ですが、私の大好きなスマホアプリ『A3!(エースリー)』のイベントストーリーを読んだ感情を忘れたくないので文字に書き起こします。

彼のルーツから旗揚げ公演、そして今回の第九回公演ができるまでのプロセスに対する感想と、公演に対する感想、色々と書いていこうと思います。
メモ書きの段階で1万字を超えているので、推敲して減らしたとしてもありえない長さになりそうです。2つに分けます。すみません。

小劇場演劇が好きな私ではありますが、実際の小劇場界隈とこのゲームのことは分けて考えているという前提でお話をします。

A3!の世界観


あらすじ

東京の郊外・天鵞絨(びろうど)町には小劇場が立ち並ぶ一角があり、そこは「ビロードウェイ」と呼ばれていた。
その一つである劇団「MANKAIカンパニー」はかつて人気を博していたものの、今では1000万円の借金がのしかかっており、劇団員は1人しかいないという瀬戸際に立たされていた。
創設者の娘である立花いづみは、父の行方を捜す中でMANKAIカンパニーを訪れた際、主宰兼総監督として劇団の再建を任される。
ヤクザの銀泉会が借金の取り立てに来る中、いづみは再建に乗り出す。

Wikipediaより引用

公式サイト

現MANKAIカンパニー公式WEBサイト
マウスポインタが使いづらくて毎回イライラします

MANKAIカンパニーは、劇団員の聖地「ビロードウェイ」にある劇団です。
伝統的に「春組」「夏組」「秋組」「冬組」の4つの演劇ユニットがあり、
「春組」は正統派メルヘン劇、
「夏組」は賑やかなコメディ、
「秋組」はハードなアクション劇、
「冬組」はしっとりとしたシリアス劇
を得意としています。

MANKAIカンパニー公式サイトより引用
ゲームだから細かいことは気にしないで見てね

演劇と皆木 綴


劇作家としてのルーツ

現在、葉星大学に通いながらMANKAIカンパニーの座付き作家として活躍する彼は、男10人兄弟の三男です。
決して裕福ではない家庭に生まれましたが、良くも悪くも“普通”の男の子として育ってきました。学校に通い、兄とサッカーをして、友達と遊び、趣味の読書をし、アルバイトをする。絵に描いたように、この上なく“普通”です。
そんな彼がなぜ、劇作家になったのか。それはとある出来事がきっかけでした。

皆木家では、兄弟の誕生日ごとに誕生日会をします。
当時小学生でお小遣いも少ない綴は、次男の誕生日会でお金をかけず気持ちを込めたプレゼントを見つけるのに悩み、友人の水野に相談しました。
綴は当時から自由帳に物語を書いており、水野はその物語が大好きでした。そんな水野の提案で、河童が主人公の短い戯曲を書きます。
これが【劇作家・皆木 綴】のルーツです。
水野とはとある理由があり疎遠になってしまうのですが、このルーツが劇作家としての綴を常に支える基盤となっていきます。

綴は高校時代演劇部に仮入部していましたが、もともと読書が好きだったり、演劇だけではなく“物語を綴ること”が好きなのだと思います。
では、なぜ劇作家なのか?小説家やシナリオライターでは駄目だったのか?
個人的には、自宅で兄弟や友人と演じた短い劇とはいえ“初めて戯曲を完成させ、上演した成功体験”が、綴にとってかなり大きいのではないかと思っています。

劇作家 兼 役者になってから

そこから18歳、大学1年生になるまではストーリー上ごっそり抜けているのですが、入学早々宿なし状態だった綴は、寮と1日2食が付いてくる条件に惹かれて劇作家兼役者としてMANKAIカンパニーに入団します。
大学に入学するやいなや家を出て自立しようとするなんてノープランではあるがえらすぎる。

そして、数日で演劇経験のない5人の役者ですらない男の子たちを集めたかと思えば、来月には上演しなければいけない。とんでもねぇ……。
脚本に関しては、少しでも稽古期間を長く取るために1週間後には仕上がっていなければいけない状況。
そんな中綴は、自分が脚本を書きたい意思を伝えます。

A3!アプリ内より引用

今まで習作を数本書いた経験しかない綴が、2時間程度の脚本を1週間で書きあげることはかなり困難だと思います。
劇場支配人から「今回はすぐに用意できる脚本を使って、次回公演から書いてはどうか」との提案を受けたときに返したのが、この言葉。

A3!アプリ内より引用
関係ないけど左が私の好きピです

ほんっっっっっっっっっっっっっとうに、そう!!!!!!!!!!!

軌道に乗っていない劇団なんていつ自然消滅するかわかりません。
旗揚げ公演以降、いつの間にか趣味アカウントのように変わってしまった劇団SNSをいくつも見てきました。
公演を打つことが決定しているこのタイミングで書くことを諦めたら、自分の脚本が日の目を見るチャンスはもう来ないかもしれない。だったら書くしかない。書いたことがなくても、書くしか道がない。
物語に対する熱量か、18歳という若さの魔法か、どちらにせよここで「絶対に書く」という気持ちを表に出した綴が、期限ギリギリ徹夜で書きあげるところが超カッコイイ。

役者として

ようやく脚本を書きあげても、またすぐに次の試練。彼は劇作家でもありますが、役者でもあります。非情にも、休む暇なく稽古が開始。
初代春組の劇団員で今は演劇学校で教鞭を執る雄三が、新生春組の稽古を見て1人ずつダメ出しするシーンです。

A3!アプリ内より引用
脚本は『ロミオとジュリエット』を原作として男同士の友情を描く『ロミオとジュリアス』

雄三の言っていることは何も間違っていません。
わざわざお金を払って座りっぱなしの2時間、つまらないものを見せられるのって本当につらいですよね。

私は月平均5~8本演劇を観ますが、1~2か月に1本は観ているのがつらいと思ってしまう演劇に当たってしまいます。失礼ですが。
自分にはまだ早い内容だとか、きっと面白いだろうに脚本の意図が汲み取れず悔しいとか、色々な理由があります。ですが中には、単純に役者が噛みすぎだったり、台詞が棒読みだったり、動きが大袈裟すぎて冷めてしまったりすることもあります。そういう時は大体、早く終わらないかなと思いながら美術や照明を見ています

はじめて書きあげた長編。初めて上演される自分の脚本。思い入れが強くなるのも当然です。
でも、思い入れの強さで自己満足のお粗末な芝居をするなら、それは努力というプロセスのみで結果が伴わず、そこに金銭を発生させる資格はないと私は思っています。

その通りだと思います。
これ下北のマルシェ下北沢のとこの掲示板と楽園の向かいの掲示板に拡大コピーして貼ろうよ

どんなにいい脚本でも、どんなに有名な役者を起用しても、どんなに達者な裏方を固めても、たったひとり作品のクオリティを下げる役者がいるだけで、舞台作品の総合的な完成度とそれに伴う評価は大きく変わってきます。

旗揚げ公演は大盛況

でしたが、それに関しては話したいことが多すぎるので割愛します。
5/31までメインストーリー1話~295話が無料公開中なので読んでください。
フルボイスです。豪華です。面白いです。読んでください。

ルーツを辿る公演


春組第三回公演『ぜんまい仕掛けのココロ』

MANKAIカンパニー公式サイトより引用
宣伝美術の予算とかはフィクションだから考えちゃいけない

公演のあらすじ

街の路地裏に小さな工房をかまえる錬金術師のルーク。
ルークは自分の初めての友達になってもらうために、体の一部がぜんまい仕掛けのホムンクルスを作り上げてS(エス)と名付ける。
しかし、どれだけ根気強く教えても人間の感情が理解できないS。
歯がゆさを感じたままSとすれ違う中で、ルークの暮らす街では警備隊による機械人形排斥の動きが強まっていき――…。

MANKAIカンパニー公式サイトより引用

出演(敬称略)

ルーク 役  皆木 綴(みなぎ つづる)
S 役    シトロン
コルト 役  佐久間 咲也(さくま さくや)
ボイド 役  茅ヶ崎 至(ちがさき いたる)
アルフ 役  碓氷 真澄(うすい ますみ)
※こちらがキャラクター紹介ページ

イベントストーリーのあらすじ

春組が第三回公演の準備を始める頃、
劇団に企業からの援助の話が舞い込む。
申し出た青年は、脚本家の綴に入れ込んでいるよう。
一方、脚本の執筆を始める綴。
公演の演目を「錬金術とホムンクルスの友情モノ」と決め、準主演をシトロンのあて書きで進めるが、しっくりくる結末が思い浮かばず悩みこんでしまう。
役の心情に迫ることができれば…と綴が主演をつとめることになるが、スランプからは抜け出せないまま。
綴の気分転換にと、シトロンは劇団内で『第一回MANMANグランプリ』の開催を企画する。
そんな中、綴へ一通のファンレターが届き─。

A3!アプリ内より引用

劇作家・皆木 綴にとって初めてのスランプ

春組だけで3本目、MANKAIカンパニーを通して9本目となる脚本は、スチームパンクな世界観をバックに錬金術師とホムンクルスが友情を育んでいくファンタジーです。
劇作家としての経験が少ないことが原因かもしれませんが、綴は脚本を構築する柱の1つに、個人的なコンプレックスを抱えている“男同士の友情”を置いた作品が多いです。
綴自身も気付いており、それが原因となりスランプに陥ります。

現状、MANKAIカンパニーで脚本を書けるのは綴しかいません。作家志望の劇団員も興味を持つ劇団員も現れません。
この劇団では、何か特殊な公演ではない限り長編公演も短編公演もすべて綴が書いています。旗揚げから5年と少しで、長編を約45本書いて上演しています。どうやって???
綴1人が書くしかない。この現実に対し、全く悲観していないのが綴の素晴らしいところです。これで大学にもしっかり通い、たまにアルバイトもしているのだから正直イカれているとしか思えません。私には到底無理です。

では不安にならないのか?それは違います。
クリエイターはいつだって、気を緩めればすぐに押し潰されそうな不安やプレッシャーを抱え創作をしているはず。綴も例外ではありません
ただ、戯曲を書いたこともない周りの人間にはそれを支える術が分からない。
手伝ってあげられるのなら手伝いたい。代わってあげられるのなら代わりたい。
そんなことを考えても、結局この『ぜんまい仕掛けのココロ』で納得いくラストは、綴の中にしか眠っていないのです。

しかし、不安になった綴に 春組劇団員の至がある言葉をくれます。

補足できる部分も掘り下げる部分も皆無というくらい全部言ってくれている

これです。
今の綴にかける言葉で、これ以上のものがこの世にあるだろうか?絶対にない。誰が何と言おうとこれが最適解の大正解です。
最初期は演劇に興味のなかった至ですが、元々アニメ、漫画、ゲームなどが好きな所謂オタクの至は、一般の人間よりも物語に触れる母数が多いはず。
その至からこの言葉を出させる綴は、月並みですが本当にすごい。
そしてスランプの劇作家に怯まずこれを言える至、本当に本当にすごい。

一通のファンレター

しかし綴のスランプは、この言葉だけで脱却できるほど浅いものではなかった。少し持ち直しはするものの、結局物語の結末を決め倦ねている綴。
そんな中、一通のファンレターを監督から預かります。
それは、劇作家としての綴のルーツである友人・水野からファンレターでした。
水野は資産家の息子で、裕福な家庭の生まれです。
ただその家庭環境が影響し、浮世離れした水野は友人がいませんでした。そこで初めて仲良くなったのが、六年生の時にクラスで席が前後だった綴です。
水野にとって綴は、初めてできた友人でした。

しかし水野の母親は、綴との交流を許しませんでした。
資産家の息子と貧困層の子供が仲良くするべきではないという親の都合で、水野はほどなくして転校しました。

親の言う「あなたの為を思って」は、いつだって悪になりうる

当時の二人は「また一緒に劇をやろう」という約束をしていましたが、それは叶いませんでした。そこからずっと、約束を破った罪悪感に苛まれながら心の中で綴の活躍を祈ることしかできなかった水野のつらさ、そして大学生になりビロードウェイで劇作家としてデビューしている綴の名前を見かけたときの気持ちはは計り知れません。

ファンレターより一部抜粋
ファンレターに対し、脚本家として大正解の方向へ気持ちを持っていく最高の男・皆木 綴

ルークとS、彼らなりの終着点

ファンが求めているであろう春組のテイストに合う爽やかな喜劇を書くべきか、飽きさせないため悲劇にしていつもと違う作品を見せるべきか、それでもただ悲劇にするのはルークとSにとって本当にいい結末なのだろうか。
綴は準主演のシトロンに相談します。

さすが王子。達観しておられる。

綴の持つ“友情そのもの”に対する考え方が、水野や準主演のシトロンによってかなり広がった気がします。
そしてようやく物語の結末が決まり、短期間の稽古を経て本番初日を迎えます。

劇中劇

感情を持たない機械人形であるはずのSは、どんどん人間に近づいていく。
それを嗅ぎつけた警備隊はSを壊そうと試みるが、その瞬間爆発が起き、大きな機械の破片がルークの上に崩れ落ちる。ルークの命が危ないという瀬戸際でSがルークを助ける。ようやく抜け出すも、Sを嗅ぎまわる警備隊がすぐそこにいる。
ルークはSと一緒に逃げようとするが、Sは自分のぜんまいを外すようルークに懇願する。
ぜんまいを外すことはSを壊すことと同じであるため、ルークは拒否します。ですがSはルークが警備隊から追われ続けることを案じ、大切な友達であるルークを想い懇願し続けます。

自分が動かなくなっても友情は消えないと伝えるS
シンプルにめちゃくちゃいい話

『ぜんまい仕掛けのココロ』は、綴にしか書けない優しくあたたかい悲劇でした。
悲しい結末ではあるけれど、劇中のSはルークに対し「きっとまた会えます」と言います。その台詞はSからルークへの言葉であり、綴から水野への想いでもあります。

皆木 綴は若く、青い


MANKAIカンパニー座付き作家として書くべき本とは

綴の書く本は爽やかな喜劇が多く、そうでなくても結末は大半がハッピーエンドです。
悲劇の場合は、現代からかなり遡った時代背景にしたり、現実離れしたファンタジーの世界観が多い気がします。MANKAIカンパニーで上演される悲劇は、少なくともリアリズム演劇ではないですよね。

綴はまだ、人間としても劇作家としても若いです。実体験として、凄惨なライフイベントをひとつも経験していなくてもおかしくはありません。というかそんなもの一生経験せず健やかに生きてほしい
例えば、綴自身が今生きている現実と見分けがつかないような現代の世界観で、登場人物も一般的な人間、本の内容も自伝的なほぼノンフィクションの作品を綴が書いたとします。その結末はきっと喜劇でしょう。
戯曲は基本的に虚構ではありますが、そこにほんの少しの真実が入るからこそ面白くなるものだと私は思っています。
特に想像だけで作り上げた悲哀や悲痛の感情は、実際に経験したことがある人の目にはかなりチープに映ります。

甘いことが一概に悪いとは言えない

では、喜劇ばかりで、悲劇を書いてもなんだかあたたかい部分がある作品を書き続ける皆木綴は、劇作家として惨憺たる悲劇が書けない甘ちゃんなのか。
実際、綴自身がまだ若く、今まで生きてきて何かに絶望したり本気で悲憤慷慨したりという経験がないから書けない話もきっとあるし、できない表現もきっとあります。
それでも私には、少しでも観客に希望を持ってもらいたいと考える優しい創造主であると思えます。
自分の書きあげた脚本に仕上げとして必ず優しさのエッセンスを1滴垂らす。それをすることで紛れもない皆木 綴が書く戯曲になっているのではないかと思います。

チェーホフの作品を例にして

私の大好きな作品である『ワーニャ伯父さん/作・アントン・チェーホフ』を例に挙げて話をします。ソシャゲ感想の延長でチェーホフの話をすなよ

この作品は4幕構成なのですが、1幕から4幕までいいことがほとんど起こりません。途中で奇跡が起きるわけでもなく、最初から最後まで、ずっとやるせなさや生きづらさなどを感じる息苦しい作品です。
内容としても希望を持てる部分が皆無である『ワーニャ伯父さん』という作品がなぜ傑作と賞され、世で愛され続けているのか。
(まあ色々あるんですけどその中の1つとして)4幕ラストの台詞です。

仕方ないわ。生きていかなくちゃ…。

長い長い昼と夜をどこまでも生きていきましょう。
そしていつかその時が来たら、おとなしく死んでいきましょう。
あちらの世界に行ったら、苦しかったこと、泣いたこと、
つらかったことを神様に申し上げましょう。

そうしたら神様はわたしたちを憐れんで下さって、
その時こそ明るく、美しい暮らしができるんだわ。
そしてわたしたち、ほっと一息つけるのよ。わたし、信じてるの。

おじさん、泣いてるのね。
でももう少しよ。わたしたち一息つけるんだわ…

Wikipediaより引用

いや、美しすぎる…………………。
最後の最後にこの台詞を入れることで、1幕冒頭から4幕終盤今の今まで全く救いがなかった『ワーニャ伯父さん』にカタルシスが生まれます。
綴とチェーホフを比較するのはちょっと壮大すぎる気がするのですが、『ワーニャ伯父さん』での上記の台詞のような役割をしてくれているのが綴の優しさというエッセンスなのかなと思います。

つまり


観る人によってはぬるさのように捉えられてしまうこともあるかもしれないけれど、それをエッセンスとして1滴加えることが劇作家としての綴の譲れない部分なら、優しい創造主である自分を誇りに思い、それを貫いてほしいと私は思います。

あとがき


だらだらと書きすぎて何を言っているのかわからなくなってしまいました。反省しています。が、読み返したら載せなくなるのでこのままチェックなしに載せます。誤字脱字抜け矛盾等々ありましたらすみません。

このnoteを書こうと思った理由の春組第九回公演『文学隘路(あいろ)』のことや、MANKAIカンパニー上演台本の中でも5本の指に入るほど好きな第二回ミックス公演『駆け巡る』についてミリも触れていないのですが、上記2作品について話すための材料を用意したのがこの記事です。

その2作品についてはまた時間のある時に書きます。

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