正しくないけど、励ましたいの
例えば、
同僚が、仕事でミスをしてしまった。
親友が、倫理的によくない恋愛をしている。
こんなとき、なんて声をかけたらいいだろう。
私は、正しくなくても・言い訳にしかならなくても
できれば笑いながら、「心がラクになる言葉」をかけてあげたい と思う。
……葛藤は、する。毎回、する。
会社ならば、「世間一般の常識」に照らし合わせればたしかに当然叱責されるようなことだろうけど…と思ったり。
親友から不倫の相談を受けたなら、これまた「世間一般の常識」(そして法律)では許されないけれど…と思ったり。
「先方は大きい会社だから、このくらい屁でもないんじゃないですか?笑」
「どうしたって好きなんだもん、仕方ない」
こんなことを言ったら私は「世間一般」から、どんな目で見られてしまうだろう。
特に、人目があると、なかなか言いづらい。
私は冗談が苦手だから、ヘラヘラと笑いながら言っても、常識を疑われてしまいそう。
……これって、自分を守るための発想なんだよね。
ついつい言葉を飲み込んでしまうとき、私は思いやりと正しさの狭間をゆらゆらと揺れている。
そんなときは、思いのスタート地点に戻る。
どうしてその人に「心がラクになる言葉」のほうをかけてあげようと思ったの?
自分を守るのか、目の前の人の心を守るのか。
別に、周りに「何言ってんだ」と思われたっていいじゃない。
それで救われる心が目の前にあるならさ。
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