ネトウヨとかパヨクとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

「ネトウヨ」
「パヨク」

ここ最近、政治に興味のない人にも耳に馴染んできた言葉ではないでしょうか。

これらは「右翼」「左翼」をバカにした蔑称です。

定義は色々あると思いますが、よく使われる定義としましては、

「対話が不可能な人」


と考えて貰えればいいかなと思います。

「右翼」「左翼」は思想的なポジションの問題です。「どちらがいい」という話ではなく、「どちらにもメリット、デメリットがある」のです。

そもそも右翼左翼ってなによ?


って人も多いと思います。


ざっくり言うと、
右翼=保守派
左翼=革新派

です。

なので、その国の状況や時代によって言葉のニュアンスも変化します。

なので、「右翼」「左翼」には侮蔑的なニュアンスはありません。単に、社会へのアプローチの方法論の違いなのです。

では何故いつも争っているの?


本題です。

「ネトウヨ」「パヨク」と呼ばれる人達がいます。それは、

自らの主張が絶対に正義だと信じ、反論意見は聞く耳を持たず、敵対した相手の心情や理念を攻撃するタイプの人達です。


先日、思想の違うフォロワーさんとお話をさせて頂きました。

どうやらそのフォロワーさんはそういう「対話不能」の人達に痛い目に合わされていたようで、普通に話をしていただけで感謝してもらえたので非常に切ない思いをしました。

「ネトウヨ」「パヨク」と呼ばれる人達は、思想の違う人たちを執拗に攻撃します。

自らの発言の正統性を担保する為に、理論武装をします。ですが、

反証不可能なものや、相手に反証の隙を与えないのが特徴です。


「自分で調べろ」とか「はい論破」とか言ってる人に出会ったことはありますでしょうか?

これは逆に言えば「自分は勉強したので知っている」「自分には知がある」と驕っているのです。

「君が知らないなら一緒に学ぼう」で、いいと思うのです。そして「私が知らないことを教えて欲しい」で、いいと思うのです。

現実社会ではそのようなタイプは自然と孤立していきます。

ですが、ネット社会では猛威を奮います。


議論モデルの1つとして「トゥールミンの議論モデル」というものがあります。

1.事実
2.論拠
3.主張

というものです。例えば、

1.赤信号で歩道を渡った人が事故にあった。
2.赤信号では車が通っていて危ない。
3.赤信号は渡らない方が良い。

のような感じです。

「ネトウヨ」「パヨク」と呼ばれる人は、まず「主張」が先に存在します。


そして、相当強引に「論拠」をつけたりします。

例)
1.赤信号で待たされた事により待ち合わせに遅れた。
2.赤信号を人の見ていない所で待つのは時間の無駄だ。
3.赤信号は積極的に渡るべきだ。

てな具合です。

5分前に出ろ。


ツッコミが入るところですが、これが政治の話になると複雑な様相で現れたりします。

そして、シンプルで強い言葉や、RT数、いいねの多さ等が後押しして、妙な説得力を纏います。


問題なのは、不勉強なままにネットの世界に飛び込んで、なすがままに「ネトウヨ」「パヨク」に乗っかってしまう人がどんどん増えていることです。

単純な物語故に、わかった気になってしまうのです。


ですが、世の中はもっと複雑ですし、「全てが善」「全てが悪」など存在しません。


日本の悪いことは全部安倍総理のせいでしょうか?
韓国人は全員日本人を嫌いでしょうか?
アメリカ人は全員原爆を正義だったと思ってるでしょうか?
中国人は全員世界の覇権を握ろうとしてるでしょうか?


荒唐無稽に聞こえる話だと思います。

ですが、その位の話でバズってる政治系ツイートはかなり多いのです。


「ネトウヨ」「パヨク」との会話は本当に疲れます。ただただ疲弊だけが残り、何も残らなかったということも少なくありません。

変な言い方ですが、「事実」も「論拠」もしっかりしていないというのは無敵なのです。


「数の暴力」「知識の暴力」に屈する事なく、自分の心を守り、相手の心を守り、共に歩んでいける決意を持ち続ける事が出来るだろうか?

そのような問いを叩きつけられている気がします。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?