根性論が今の時代有害とされているその理由について考えてみた

努力、根性、我慢

一昔前なら、美しく響く言葉だったと思います。

僕が小学校の時辺りはこれらは完全に美学でした。

ときめきメモリアルの虹野沙希ちゃんも言ってました。

少年ジャンプではドラゴンボール、スラムダンク、ONE PIECEなど、努力、根性、我慢で歯を食い縛りながら難局を乗り切っていく勇者たちに心を打たれました。

ですが、ここ数年、これらの事を口にすれば「今そういう時代じゃないから」という風潮になってきてると思います。

あちこちで言われているので、聞いたことのある人も多いのではないかと思います。

では、「努力」「根性」「我慢」は悪なのか?

結論から言うとnoです。でも、それを「人に要求する」のは悪です。

一昔前は、「見て盗め」「着いてこれない奴は帰っていい」「自分の頭で考えろ」が普通でした。ですが、それに対してのアンサーを叫ぶ人達がどんどん増えてきたのです。つまり、「わかるように伝えろ」「なら帰る」「いや丁寧に教えろよ」という具合にです。

昔はそんなアンサーをしたらぶん殴られました。ですが今は「ハラスメント」になります。つまり、

「ハラスメント」になるという事に付け入り、免罪符にするアンサーにはまだ、有効打は少ないのです。

とてもざっくり言うと、少子高齢化で、そもそも「学ぶ側」より「教える側」の人数が多くなってしまった挙げ句、多様な生き方や急速なハラスメント対策にて、「お前の変わりはいくらでもいるんだぞ」から「ここに居てください、人が居ないんです。」というパワーバランスになっている所は多いでしょう。

しかし、「努力」「根性」「我慢」は実際のところ必要です。

それだけで乗り切ろうってのが、駄目なのです。

嘆いても仕方ありません。そういう時代です。指導者側が工夫を凝らし、コンテンツを魅力的に改革していくしかないのです。

脱皮できぬ蛇は滅びるのです。

具体的な話を上げていこうと思います。

■伝える側と伝えられる側のギャップ

「努力」「根性」「我慢」、それらは「手段」であり「目的」ではないです。

ですが、それを言われた方はそれが「目的」となってしまいます。

「もっと頑張れ」がどれだけ人の心を痛め付ける台詞かは皆さんご存知だと思います。ですが、どうして傷ついているのかわからないままに傷ついている人は結構多いのではないかと思います。

わからないものに傷つくのは辛いことです。わかるものなら対策が練れます。

「努力」「根性」「我慢」を求められた時に苦しいのは、「目的」が曖昧なパターンが多いからではないかと思います。

「指示する側」はゴールの位置が見えています。ですが、「指示される側」は、見えてないのです。

これは当たり前の話です。ですが、驚くほど忘れられてしまうのです。

「俺は頑張ってるのに」という顔をしている人に「いいやお前はまだ頑張れる」と指示する人は、単純に自らの暴力行為に気付かない恐ろしい人です。

確かに頑張ってるパターンがほとんどだからです。

もっと丁寧に言えば「俺の気に入るように頑張らない奴は頑張ってない」と公言しているようなものです。

また、「自分はこんなに頑張ってるのになんて駄目なやつなんだ」と、病んでしまう人もいます。そして何とか乗り越えても、その暴力を後輩にしだすのです。

「頑張れ」は使用法に気を付けなければならない言葉でしょう。

■熱さは七難隠すという罠

「努力」「根性」「我慢」で僕が最も恐ろしいと思うのは、「良いことをやってる気になってしまう」ということです。

某カルト宗教のやり方の例を書きます。まず信者を大否定します。疲弊して考える力が無くなった所に、教祖が新しい考えを言います。そしてそれを守った人を褒め称え、違反するとまた叩きます。すると、脳をすっかり教祖に預けた形になるのです。

「熱さ」を重んじるとどうしても、「正解を出さなければならない緊張感」が産まれます。そして、「正解」は、その団体における「空気の支配者」が有しています。

「この人に怒られないように頑張らなきゃ」と思った時に浮かぶ人、いませんか?

「熱さ」と「空気の支配者」は深い親和性の元に繋がっています。

そうすると、ルールは「その人」になります。やがてルールになった人に怒られないように。気に入られるように、人は振る舞っていきます。

そこで善悪はその人になります。そして、排他的になってゆくのです。

某カルト宗教が間違っているにも関わらず、悪の道に走ってしまったのは全員が悪人だったからでしょうか?いいえ違います。むしろ善人だらけだったのではないかと思います。その「善」が歪んでいたという話です。

対策は、団体の外の人に冷静な目で見てもらい、常に自分達の在り方を客観視する場を作ることです。

「熱」が籠っていると、正しい判断に麻痺を起こさせるのです。

また、恐ろしいのは、もし間違っていても「それなりに魅力的になってしまう」所です。

そんな感じのこと、心当たり、ありませんか?

いくらでも長くなってしまうので、この辺で☝️ではまた。

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