木曽十一宿を歩く①
江戸期に設置された五街道の一つ中山道。江戸日本橋から、上野、信濃、美濃、近江を経由し京都三条大橋までの江戸幕府による公設の街道。
中山道六十九次。日本橋と三条大橋の間に六十九か所に及ぶ宿場が設置されている。
そのうち木曽谷にある贄川宿から谷を抜けた尾根筋にある馬籠宿までの宿場を木曽十一宿と呼ぶ。
そのすべての宿(しゅく)には往時をしのばせる風景が随所に残っている。
そんな風景がみたくて2008年頃から木曽十一宿を訪ね始めた。
木曽との出会いは中学の修学旅行で妻籠宿を訪れた時だった。1970年代のこと。妻籠が日本初の重要伝統的建物群、いわゆる重伝建に指定されてそんなに時を経ていないころのことだ。
当時の神奈川県あたりの中学校の修学旅行の行先はほとんどが京都奈良が当たり前の時代、母校の社会科の教師が信州という新たな行き先を決定した。
このことは話題になりローカルテレビ局テレビ神奈川で取り上げられ、その教師はテレビ出演してそのいきさつを説明していた。その理由は忘れてしまったが、母校の教師がテレビに登場し、みんな驚いていた。
修学旅行は軽井沢、美ケ原温泉、妻籠に近い大妻籠民宿に宿泊した。詳細は忘れたが、美ケ原温泉が美ヶ原高原になく、松本市街のはずれにあったことにみんながっかりしていたことを記憶している。(笑)
この修学旅行で立ち寄った木曽路は、寝覚ノ床、須原の定勝寺、妻籠宿の三か所と記憶している。
記憶は薄れ、かつ妻籠宿のような江戸風情にさほど興味のなかった私は、当時、どのような気持ちでもって宿場を歩いていたかは全く記憶がない。
さて、今まで木曽十一宿を自分の印象で一枚づつの写真で紹介してきたが、ここでは、何回かに分けて写真と文で木曽十一宿を紹介したいと思う。つまらぬ写真、つまらぬ文章かもしれないけれど、暇つぶしにどうぞ。
贄川宿
江戸側から来て、木曽十一宿の最初の宿場が贄川。
2010年。信州諏訪地方は御柱でにぎわっていた。御柱は一見、諏訪地方だけの祭りのようにも思えるが、実はその周辺の神社で行われているところもある。
そんな神社の一つとして贄川の麻衣廼(あさぎぬの)神社でも御柱があることを知り、諏訪の御柱を見学した翌月に贄川を訪ねた。
規模は諏訪の御柱とは比べ物にならないくらい小さいが、地元の人たちをメインに大いににぎわっていた。
贄川宿は贄川駅から国道を南下して徒歩5分ほどのところから脇の道へと入る。そこにあるのが以前紹介した木曽節を奏でる鉄琴のある関所橋だ。橋を渡ったところからが旧中山道で右方向へ歩くと宿場の家並が続く。左に折れると直ぐ坂の途中に、福島関所の副関所として存在していた贄川番所が復元された贄川関所考古館がある。
贄川は昭和初期の大火で古い建物があまり残っていないが、宿場の南端辺りに深沢家とういう重文の建物が残っている。木曽の代表的な商家の作りだと言う。
旧街道は宿場のはずれで中央本線を横切るが、今その道はない。家並の間を抜けて人道橋を渡り国道19号線沿いを歩く。
奈良井方面へしばらく歩くと現れるのが食堂SS。トラック野郎御用達の国道沿いにあるドライブイン…というよりその名の通り食堂というべきか。ドライブインというとレストランに近いイメージを受けるが、そういう雰囲気ではない。
店内に入るとそのメニューの多さに驚かされる。ネットでも評判の良い食堂なので、立ち寄って損はない。
木曽まで行ってそんなところで普通の飯をって思うかもしれないが、土地の名物を観光施設で食べるのもいいけれど、地元の人などが多く利用する食堂はコスパは良いし、満足感はある。
ちなみにこの食堂、テレ東系のグルメドラマ「絶メシロード」に登場した店。
ぜひ、立ち寄って多すぎるメニューに大いに悩んでほしい。(笑)
※タイトル写真は奈良井宿。