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東北汽車旅1982 ②
タイトル画像は角館を発車した特急「たざわ」盛岡行き。
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角館からは田沢湖線で盛岡へ向かう。田沢湖線は新幹線盛岡開業よりやや遅れて、この年(1982年)の11月に電化され、盛岡秋田間を結ぶ電車特急「たざわ」が走り出した。
私は、まだ気動車で運行されていた普通列車で盛岡へと向かう。
田沢湖線は奥羽山脈を越える山岳路線。大きな山塊を超える鉄道は、その山塊の両側から鉄道建設が始まることが多い。田沢湖線も同様に岩手県側からは盛岡ー橋場を結ぶ橋場線。秋田県側からは大曲ー生保内(現:田沢湖)を結ぶ生保内線として開業。
しかし現在の田沢湖線に橋場駅はない。当初の予定では赤渕から橋場駅を経由して生保内に達するルートが計画されていた。
その後、その南を抜ける新たなルートに変更され、橋場駅はそのルートから外れたため赤渕―橋場間は廃止された。
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盛岡からは三沢へと向かう。距離があるので時短のために特急はつかりに乗ったはずだ。この日の予定は、十和田観光電鉄、南部縦貫鉄道に乗り浅虫温泉を目指す。
米軍基地の町三沢。エシュロン(軍事用通信傍受システム)などという、日本などの通信をくまなく傍受するシステムもあったと言う。たぶん今もなんかやっているだろう(笑)
乗り換え時間があまりなく、三沢の駅前などを見ることもなく十和田観光電鉄のホームへ急いだ。
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この辺りの記憶もほとんどなくなっている。終点の十和田市駅からはバスに乗って七戸を目指す。七戸駅へ直接向かうバスはない。
十和田市に降り立って気づいたのは、やたら街が砂ぼこりで汚れていたこと。おそらく、当時は全く規制のなかった自動車のスパイクタイヤが路面を削って巻き上げたものだろう。
南部縦貫鉄道の七戸駅は七戸の町のはずれにあるために、最寄りのバス停から数分歩くことになった。
七戸駅は古いが立派な駅舎だった。
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南部縦貫鉄道は当時からレールバスの走る路線として知られていた。レールバス、二軸の車輪に両運転台。バスというだけあってバックミラーとギアを備えている。
レールバスに乗り込むと、太った運転士がガラガラの車内の客席に横たわりタバコをふかしていた。現代ではありえない光景だ。
定刻に(おそらく)発車したレールバスは野辺地へと向かう。バスは上下にガタガタと揺れ、太った運転士の体も振動に合わせ浮き上がる。この揺れは二軸の車輪の欠点だろう。辺りはのどかな風景が広がる。小雨の降る天候が残念だった。
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雨の中を走るレールバス
天間林ではちょっとした荷物の積み下ろしがあった。若い駅員がバスに荷物を入れる。
西千曳。南部縦貫鉄道のかつての終点。旧東北本線千曳駅だ。東北本線はルートを変え、この駅の南東側に新たに千曳駅を設置、旧千曳駅は西千曳となり、ここからの野辺地駅までの旧東北本線は南部縦貫鉄道に貸し出された。
終点野辺地は構内の南西端の片面ホームに停車する。その左手には日本初の鉄道防雪林が立ち並んでいる。
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この写真は。南部縦貫廃止(休止)直前に再訪した時のもの 1997年撮影
南部縦貫鉄道は1997年に休止に新幹線連絡線を夢見てわずかな光明もあったが、夢破れ数年後に廃止となった。
この日は東北本線で浅虫(現:浅虫温泉)へ向かう。浅虫は温泉で知られたところ。お寺のユースホステルに宿泊した。そこで同部屋だったのが某大学でキリスト教関係の講師をしている方だった。
神父と牧師の違いを言い当てた私は、すごいねよく知ってるねと褒められた(笑)意外と知らない人が多いらしい。
浅虫温泉に泊りながら温泉には入らなかった。今でこそ、そこそこの温泉ファンだが、当時は全く興味がなかった。
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5日目
早朝の浅虫から普通列車に乗り込み、まず青森へと向かう。列車は客車列車。ドアも手動で、走行中でも開けようと思えば開けられるドアだったと記憶している。平日の朝なので高校生などが大勢乗って混みあっていた。デッキでタバコを吸う高校生もいた。
青森駅到着。まだ青函連絡船が運航していた時代だ。港の連絡船に向かってレールが伸びている様子も見られた。
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この日の予定は、津軽鉄道踏破。まず、青森から奥羽本線で川部まで行き、五能線に乗り五所川原へ。