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戸塚大踏切

戸塚駅に進入する東海道線下り電車 2002年

上の写真は、戸塚大踏切にさしかかる東海道線の下り電車。
戸塚大踏切は東海道線戸塚駅ホームの北端(横浜より)にあった踏切で、2015年に廃止されるまで、列車の通行量が多く、開かずの踏切と呼ばれ車の渋滞を引き起こしていた。
もともとこの踏切は旧国道1号線の踏切で、江戸期の旧東海道もここを通っていた歴史ある道だった。

かつては箱根駅伝もここを通過していたため、度々ランナーが踏切で立ち往生することもあったとのこと。

元総理の故吉田茂は、東京から大磯の自宅に戻る際に不便を感じ、国道一号線のバイパスをこの踏切の北方に作らせたという。
ワンマン宰相と呼ばれた吉田がかかわったため、俗にワンマン道路と呼ばれた。

1955年にバイパスができ、渋滞は緩和され、2015年に大踏切のすぐ北側に東海道線をアンダークロスする道路が新設され、戸塚大踏切は廃止された。
そんな大踏切も、地元の人には結構親しまれていたらしい。

東海道線の駅である戸塚駅。
しかし、かつては東海道線の電車はすべて通過していた時代がある。
停車していたのは、当時大船ー東京間を東海道線の線路上を走っていた横須賀線電車だけだった。

その頃の戸塚駅周辺は、西口に商店街が開けていた。
そういえば、商店街入口辺りに不二家があり、その二階が不二家レストランになっていて、東海道線や横須賀線の電車が通る度にレストランが揺れるということで有名だった。
私自身もレストランに入ったことがあるが、ああ、なるほどと思った。(笑)

東海道線の電車が停車するようになり、横浜市営地下鉄が接続するようになって、戸塚東口にビルが建ち、そして西口は商店街をつぶして新たな商業ビル、イタリアのトスカーナをもじったのであろうネーミングのトツカーナが建った。(笑)

たしか、横浜市内では横浜駅に次いで乗降客の多い駅になったと聞いた。
戸塚は一大ターミナルと化し、同時に昔の商店街の良さが消えてしまったのが惜しまれる。

戸塚は江戸期の東海道の宿場町。
往時の雰囲気が感じられない街並みがちょっぴり残念だ。