急行利尻 1995
札幌と稚内間を走行していた夜行急行「利尻」。
1995年当時、普通車のほか、寝台車も連結していた。
当時の夜の札幌駅からは、稚内行き急行「利尻」、網走行き特急「オホーツク」、釧路行き特急「おおぞら」が寝台車を連結する夜行列車として活躍していた。
当時の自分の旅のパターンとして、宿の予約はせず、東北新幹線と特急はつかりを乗り継いで函館へ。
函館で札幌の宿を予約。
そこから道北道東などへ移動というパターン。
もし宿が取れなかった場合は、前述の利尻、オホーツク、おおぞらのいずれかで夜を明かすつもりの旅だった。
利尻に乗った時は、最初から稚内と宗谷岬を目指していたが。
なぜ、そんな宿の予約の取り方をしたかというと、旅立ちの日の前後は、緊張感なのか体調を崩すことが多く、本当に行けるかどうか不安だったから。
で、旅立ち当日は、何となく体調が悪いことが多い。
たいていは気の持ち方なのだが。
新幹線で北上している間に、本当に体調が悪いかどうかがわかるので、とにかく様子を見ながら函館を目指す。(笑)
函館に着く間にいよいよ体調不良となれば引き返すし、大丈夫そうなら旅を続行。
結局、中止して戻ったことはないが。
ただ一度だけ、冬の道東を巡った時、のどが痛く微熱が出て病院に行った方がいいかなという状態になったことはあった。
結局病院にはいかなかったが、体調がよくない状態で旅を続けろくな観光もせず、列車内で暖を取るような旅になったが、東京に戻ってきたときには体調はだいぶ回復していた。
ヤバいと思ったのはその一度だけで、たいていは気の病でしかなかった。
北海道の晩秋から冬、そして早春までの季節における列車は、車内がかなり暑い。
利尻も類に漏れず暑い車内だった。
恐らく暖房の調節が難しいのだろう。
寒いくらいなら暑い方がマシということだろうか。
だから、駅に降り立った時は、とても爽やかで気持ちが良いのだ。
が、そんな爽快感も一分と経たないうちに消え失せ、寒さが襲ってくるのが北海道だ。
このわずかな時間に、待合室に駆け込むのがいい。
しかし、最近は無人駅だらけなので、待合室に駆け込んでも外よりはマシというだけになっている。
この利尻に乗ったのは、稚咲内海岸と宗谷岬を目指した時のたった一度だけ。
もうあまり記憶がないが、旭川までは地元の人たちがかなり乗り込み、岩見沢、滝川、深川で次第に乗客が減り、旭川でかなりすいた状態になる。
豊富で降りた乗客は、私が以外にいたかどうか記憶にないが、大勢ということはあり得ない。
豊富から利尻山を見るためにバスに乗って稚咲内第2へ。願いかなわずとぼとぼと豊富方面へ歩いて戻り、サロベツ原野ど真ん中で豊富駅行きのバスに乗り、駅に戻ったことは既に別のページに書いた。
当時は札幌から各方面に夜行列車が走っており、鉄旅派にはとても便利な状況だった。
いまや、そんな列車は消え去り、様々な路線が廃止短縮され、北海道新幹線が札幌延伸されれば、函館本線もかなりの部分が廃止されてしまうそうだ。
北海道から鉄道が次々と消えていくのは、ある程度仕方ないことだろうが、そのことによって、過疎地はより過疎化が促進されてしまうだろう。
代行でバスが走ってはいるが、過疎化の進行でそのバスさえも消えかねない。
そうなったらもうそこに住みたいと思う人は、物好きな人以外はもういないだろう。
みんな札幌などの大都市の近くに移住してしまうだろう。
果たしてそれでよいのだろうか?
かつてオホーツク海沿岸の紋別市から鉄道が消え(名寄本線)たときは、都市を結ぶ鉄道が廃止されてしまったと驚いた。
最近では留萌市から室蘭本線が消えた。
小さな町村なら仕方ないのかもしれないが都市から鉄道が消えるのは驚いた。
もちろん代わりのバスは走っているから交通インフラは保持されている。
しかし、鉄道の駅というのはその町にとって、安心感というかシンボルというか、残っていてくれた方が良い存在ではないかと思う。
大都市札幌と鉄路でつながっている安心感みたいなものがあるのではないかと想像する。
たしかに、バスが札幌とつないでくれてはいるが、やはり鉄道が札幌とつないでくれているというのは、ちょっと異なる感覚があるのではないかと。
もし自分が北海道に移住するとしたら、過疎地であっても鉄道が走っている町や集落を選ぶだろう。
バスがあるよと言われても、やはり不安な気持ちになる。
北海道の過疎地でも鉄道が走っていれば、この鉄路は札幌につながり、さらには首都東京につながっていると、不思議な安心感安堵感を感じるような気がする。
JR北海道の経営は厳しいらしい。
だから、次々と駅や路線を短縮廃止している。
鉄道の消えた町は過疎化が進み、そうなると復興するのはかなり難しい。
だから、北海道においては国が鉄道を管理してもよいのではと思ったりする。
炭鉱で栄えた時代まで戻せとは思わないが、せめて幹線となりうる鉄道、例えば本線と名の付く路線はすべて存続させる方向であってほしい。
時代は鉄道ではないという人もいるが。
せめて急行「利尻」が走っていた時代に戻せたら良いが。