日中線1974
国鉄日中線。磐越西線喜多方から、喜多方北部の熱塩までを結ぶ約11キロの短い路線だった。将来的には、熱塩の先、日中温泉を通って米沢へつなぐ計画もあったと聞く。
朝に1往復、夕刻から2往復の日中走らない日中線だった。
1974年10月末日で日中線から蒸気機関車けん引定期旅客列車が消えることになり、子供だった私は親にねだり、喜多方まで連れて行ってもらった。
ちなみに、日本からSL(蒸気機関車)けん引定期旅客列車が消えたのは翌年12月、室蘭本線での運行が最後となった。
喜多方では竹久夢二も逗留したと言う笹屋旅館に泊まった。夢二の絵が飾られていた記憶がかすかに残っている。
日中線のSL列車はバック運転で終着の熱塩へと向かう。バックなのは熱塩に転車台がないためだ。
SL廃止間近とあって、喜多方駅に人は多かったし、熱塩行きの客貨混合列車はぎゅうぎゅう詰めというほどではないが混んでいた。
日中線はほぼ平坦な路線のせいもあって、SLの力走感を出すようなポイントはなかったように思う。
それでも発車時の汽笛やドラフト音は今も思い出すが、とても素敵だった。恐らく走行速度も40~60キロぐらいで、のんびり感満載の列車だったように思う。秋近く、ススキの穂が客車に刷れる音が懐かしく思い出される。
当時会津地区で運行されていた蒸気機関車は、日中線のほか会津線(現:会津鉄道)、只見線、磐越西線の一部で運行されていた。
そのため、日中線に乗車した翌日は会津線で会津田島まで向かった。
会津田島では、駅を降りて若松寄りの踏切でSL列車がくるのを待機していた。ここで、人生初の蜂に刺されるという事件にあってしまった。幸い、大事にならず済んだが、今も忘れない嫌な思い出だ。
踏切で待つのはよかったが逆光で上記のような写真になってしまった。光の具合が悪いせいなのか、ここでカメラを構える人は誰もいなかった。
列車は、汽笛一声会津田島を発車してドラフト音を響かせながら踏切に近づいた。踏切に迫るとドラフト音はやみ、吐き出す水蒸気の音のみで踏切を通過、そして再びドラフト音を響かせながら踏切から遠ざかり、汽笛を鳴らした。
小さな田島の町を囲む山々にその音が響き渡ったことを記憶している。
会津盆地からこの1974年10月末日をもって、定期運行の蒸気機関車は消えた。
日中線の蒸気機関車は、その翌日からディーゼル機関車に置き換わり、一日三往復の日中走らない線のまま運行を続けた。
しかし、その形態のまま10年後には日中線そのものが消えた。
※タイトル画像は喜多方駅。左は日中線の列車、右奥は新津方面行きの列車