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箱根旧街道 西坂
箱根旧街道は江戸期に制定された五街道のひとつ旧東海道の小田原宿から箱根宿を経て三島宿に至る約八里(約32キロ)の道程を結ぶ街道。
箱根越えは標高800メートルを超える箱根峠を越えねばならぬ難所。
この峠から小田原方面を東坂、三島方面を西坂とよぶ。
谷あいで急坂の多い曲がりくねった東坂の道に比べ、西坂は比較的なだらかな尾根の上を通るような道筋だった。
坂を緩やかにするために蛇行しながら下っていく現在の国道一号線を、ショートカットするような形で辿る旧街道には、東坂同様に石畳が敷かれていた。
西坂は天領三島代官所等が管理しており、東坂の資料がほとんどない中、貴重な資料が多く残っており、石畳が敷かれた経緯等が記されていた。
雨が降ればぬかるみやすい道は、当初箱根竹が敷かれていたが、毎年敷き直せねばならず経費と労力が莫大なため、1680年に石畳が敷かれることになった。
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左より芦ノ湖、駒ヶ岳、二子山
箱根峠からの西坂は、国道一号を渡り、芦の湖C.C.への道を進んだ途中から旧街道は始まる。峠からここまでは現在の道につぶされている。
(2023年の時点で、ここから接待茶屋までの旧街道は通行止めということになっている)
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そして一旦国道一号に出ると接待茶屋バス停となる。国道の反対側に昭和45年まで、旅人や馬などに湯茶、飼葉等を無料提供していた接待茶屋があった。
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再び旧街道に入るとすぐに片側だけが残る山中一里塚。
西坂は東坂に比べ緩やかだが箱根峠から大変長い下り坂が続く。
三島から登るより、箱根峠から下った方が楽に思う。
三島から登ると、関東圏内で山好きの人なら知っているかもしれないが、丹沢のバカ尾根を登るような感じになると思う。距離はバカ尾根の2倍近くある。
緩やかでも距離の長い坂を登りつづけるのは結構きついものがある。きつい割に、登った達成感がいまひとつ感じられないので疲労が倍増する。
東坂も西坂も、バスで箱根峠まで行き、日を分けて下るという手段もあるが、これでは、箱根越えをした達成感はあまりないので、急だが距離の短い東坂を登って、西坂を下った方が箱根を超えた達成感はあるだろう。
また、急な坂を下るのは意外ときついものがある。油断をすると転倒しないまでも、膝や足首を痛めやすいので要注意だ。
ありがたいのは、東坂も西坂も並走する県道国道にバスが走っていること。疲労などでいったんリタイアしたいときは便利だ。
山中一里塚から願合寺坂までは石畳もあるが、山中をハイキングしているような雰囲気がある。
箱根峠を過ぎてから初めて国道を一号線を渡り階段を下りると願合寺坂となるのだが、ここは道幅も広く両脇に杉並木が植えられ、綺麗に整備された石畳の緩やかな坂になる。途中には珍しい石橋も残っている。
石橋といってもどぶ川の蓋といった感じの小さなものではあるが、貴重な街道遺産だ。
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この坂以外でもかなりきれいに整備された石畳の坂があるが、元々は土中に埋もれ廃道同然になっていた場所を掘り起こし、石畳を出現させ、石畳の石一つ一つにナンバーを振り、いったん、街道から取り除き、石畳下の基礎地盤を整備し、取り除いた石をひとつひとつ元あった場所に置き、復元したということだ。
気の遠くなる作業だが、そのおかげで往時の石畳が見事に復活し、今後も永く崩れ埋もれることなく保存されていくことだろう。
街道脇にそのことを記した説明板がある。
復元以前の状況と、復元の方法が明確に記述されている。東坂にこれがないのが残念でならない。
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東坂には風祭、湯本茶屋、畑宿、葦原、西坂には山中、笹原、錦田に一里塚があった。東坂には当時の一里塚は一つも残っていない(畑宿一里塚は基礎が埋まっていたため、それをもとに復元)が、西坂は山中、笹原にそれぞれ片側のみ、錦田は両側に残っている。
東坂に残っていないのは地震や土砂災害などで崩れてしまったためなのだろうか、開発のために崩されてしまったのだろうか。
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西坂の石畳も、三島に近づくと、国道1号線の旧道に呑み込まれたり、その道を少しそれて石畳を模したものになったり、アスファルト舗装などで、全く痕跡のない部分が目立ってくる。
そして最後の坂というべき今井坂を下り、JR東海道線の踏切を渡ると国道1号線に合流する。
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暫く進むと広重の東海道五十三次でおなじみの三島大社の鳥居前に至り、三島宿となり箱根八里は終る。
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※タイトル画像は国道一号線の箱根峠。旧街道の箱根峠はこの写真左側一段上の位置にあったのではないかと思われる。
※上記文章は2009年に歩いたときのことを基に作成しているため、現在と状況が異なる部分があります。
バスを利用する際は、必ずダイヤを確認してください。
三島駅と元箱根港を結ぶバスは特に本数が少ないため要注意です。
最終便の確認もお忘れなく。
※実際に歩く際は、ご自身の責任に於いて歩いて下さい。
故意に誤った情報を掲載することは絶対ありませんが、筆者の勘違いや思い違い等がないとは言えませんので、ご容赦ください。