稚内から紅葉の大雪へ 1995
1995年10月。
新幹線やまびこ、特急はつかり、特急スーパー北斗、急行利尻を乗り継いでたどり着いた最北の地稚内。
その稚内の港に残る土木遺産に選定されている稚内港北防波堤ドーム。
1936年に完成したドームの前は桟橋になっていて、かつて樺太(サハリン)の大泊(コルサコフ)とを結ぶ定期航路(稚泊連絡船)の船が発着していた。
そしてこのドームと桟橋の間に稚内駅からレールが延伸され稚内桟橋駅があった。
サハリンとの航路は一時期復活したが、現在は休止中とのこと。
ロシアが、リーダーがまともで領土問題も前向きに話し合ってくれる国だったら、この航路もにぎやかだっただろうし、それに伴い稚内はもっと発展していたにちがいない。
稚内で一泊し、宗谷本線にて旭川へと向かう。
旭川からは石北本線にて上川へ。
上川は層雲峡の玄関口の駅。
長野冬季五輪メダリストの原田氏や女子ジャンプの高梨氏の故郷。
上川の地名は石狩川の上流の意でアイヌ語ではなく和名。
この時の旅ではすべてユースホステルを利用した。
層雲峡温泉街の端の方にあるユースホステルに宿泊したが、紅葉期のため宿泊者は多かったと記憶している。
一泊後の翌朝、同宿者7、8名とともに大雪山系の黒岳まで登ろうということになった。
ロープウエイとリフトを乗り継ぎ、さらに1時間の登山で黒岳山頂についた。
同行者たちは山をなめていたのか、飲料水を持たずに登ったため、登頂したときにのどが渇き、何人かが私の水筒の水を飲ませてくれと言い少々驚いた。
黒岳からの下山後の記憶はほとんど残っていない。
かすかに、上川からバスで旭川へ向かったような記憶はある。
そして、札幌に出て、寝台特急「北斗星」にて帰途についたと思われる。
もう30年前の旅なのでかなり記憶はあいまいになっている。
当時のJRはぐるり北海道フリーきっぷという大変お得なフリーきっぷを販売していた。
札幌から稚内、網走、釧路へ夜行特急や急行が運行され、これらの列車には寝台車も連結されていて、鉄道旅行者にとってはとても便利だった。
北海道は1980年代前後に手足をもぎ取られるように次々と鉄道路線が廃止されていった。
北海道の鉄道廃止はモータリゼーションによるものもあっただろうが、石炭産業が斜陽化し、次々と炭鉱が閉山に追い込まれ、石炭運搬やそこで働く人々が激減したところがほとんであろう。
そして半世紀近くが経過した今、再び地味に路線がや駅が廃止されている。
北海道は鉄道旅行者にとって不便な地域になろうとしている。
そして鉄道の廃止は、人々の生活を不便にし過疎化を促進させているように思える。
北海道で鉄道の明るい話題といえば、近い将来の北海道新幹線札幌延伸開業となるだろうが、その陰で並行在来線の廃止が進む。
旅行者やビジネスマンにとって新幹線はありがたい存在だろうが、地元に暮らす人々にとって、新幹線開業の喜びより在来線の廃止が気にかかるだろう。
札幌こそ巨大化し発展し暮らしやすい街になっているようだが、札幌から遠く離れた町は果たして…。