キラキラネーム拗らせ女

自分の名前好きですか?
私は自分の名前、大嫌いです。

 明らかに他の人と比べて変わっているのに、テレビなどメディアで取り上げられるほど超突飛ではない
しかしながら、どうみたって普通の名前ではない、そんな名前です。

この名前で過ごして20数年が経とうとしていますが、一瞬たりとも好きになれたことも誇りに思ったこともありません。

覚えてもらいやすいことが唯一の利点
しかし今の世の中、覚えてもらうことが必要な場面って実はそんなに多くないんですよね。
初対面の挨拶がちょっと盛り上がるくらい。

そんなに嫌なら裁判所で手続きでもして名前変えたならばいいじゃないかと考えたこともあります。
けれど、変える必要があるほどに名前を気にしていたのかと思われることがしんどい。
何年名前に固執してるんだと嗤われるのではないかと。

無愛想で感じの悪い父親とヒステリック気味な母親
(おかしな)両親のことはある程度大切だけれど、好きになれません。
自分たちは平凡なよくある名前のもとで生きられて、なぜ私は苦しまなければならないのだろう。
きっと両親なりにいろんな思いを持ってつけた名前だろうけれど、ふざけるなという気持ち
キラキラネームをつけた両親のこと、ずっと許すことができないと思います。

小学生、表彰状をもらうとき校長先生から変なイントネーションで呼ばれてしまったこと
中学生、全校集会で名前を呼ばれたとき上級生に変な名前〜とクスクス笑われたこと
高校生、あの顔と名前は釣り合ってないよね と聞こえるように言われたこと

本人たちは一切覚えていないでしょうが、私はずっと忘れることができません。
中学生くらいから私の名前ってやっぱり変なんだと強く自覚を持ち、名前がおかしいから私はこんな目にあうんだと歪んだ気持ちを持って生きていくことになりました。

そして残念なことに顔も平均以下な女でございました。
可愛いくて愛嬌があれば、名前が変わっていることも唯一無二って感じでプラスに働いたと思います。
そんな風にはなれず、名前も顔も心も醜い学生生活を送りました。

大学生、メイクやファッションを覚え整形もしてみたりしました。
美人には程遠いものの、なんとか中の下くらいに滑り込める顔面になれたと思っています。
愛嬌も身に着けることができました。

けれど、見目が変わっても名前に対するコンプレックスはなくなりませんでした。
むしろより一層強まったように思います。

世の中には個性的なかっこいい名前で、人並み外れた才能を持つ方もいます。
しかしながら、当たり前ですがキラキラネームの人間皆に才能があるわけではない。
普通(ではないかもしれないが)の父と母から生まれた普通の人間なのだから。
ただ名前がおかしいだけ。
…そう思って生きてきましたが、単に私がおかしい人間であるだけかもしれません。


ただ、紛れもなく、私は名前のせいにして逃げる癖がついてしまいました。
陰口を言われるのは私の名前がおかしいからだ、ブスだと笑われるのは名前と釣り合っていないからだ、恥ずかしい思いをするのは私がこんな名前であるせいだ…


果たして、キラキラネームでなければ拗れず真っ当な人間になれていたのでしょうか?



名前を言い訳に逃げ回った私が考える脱却法として、両親の死後、名前を変えたいと思っています。
漢字の表記はそのまま、読み方だけ変えたい。
(法的に難しいかもしれませんが、希望としてそう思って生きています。)

その頃までにこのキラキラネームを私自身が受け入れることができればそれでよし、無理ならば変えようという、ある程度軽い気持ちで日々過ごしています。

受け入れられた際には、私が過ごしてきた「キラキラネーム」の看板から脱却できていると思います。

名前を変更した際には、その後過ごす何十年の人生が、キラキラネームであった自分から脱却できたかを証明できるのだと信じています。


名前ってなんだろうなと考える夜のnoteでした。
行ったり来たりしながらつらつら書いたことば、読んでくださってありがとうございます。

キラキラネームで日々戦う方、とても素敵です。

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