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行政書士 山本~紙一枚で救える未来があるなら~ vol.1



第1章 月曜日の朝

朝の8時前。行政書士・山本駿(やまもと しゅん)がいつものように事務所のドアを開けると、ひんやりした空気が肌をかすめる。まだ道路も静まり返っているが、彼のデスクには昨日のうちに用意した書類ファイルが整然と並んでいた。

パソコンを起動し、最初に確認するのは建設会社・橋本社長からのメール。案の定「工事経歴書を修正してくれ」という催促。10年来の付き合いで慣れてはいるが、今週が提出期限と考えると落ち着かない。

加えて、新たな問い合わせメールが一通。「フレンチレストランを開業したい」とだけ書かれている。まだ情報が少ないが、最近は飲食店関連の依頼が増えているので、それほど珍しくはない。とはいえ、ちょっと胸が弾むのはなぜだろう。もしかすると、彼らが“未来”に向けてどんな想いを持っているのかを探るのが好きなのかもしれない。

「よし、まずは橋本社長の数字を直さないと。書類ってやつは、雑にすると後で痛い目を見る」

そんな独り言をつぶやき、山本は工事経歴書のExcelシートを開いた。ほんの数値の誤差が、後々の許可審査に影響することを彼はよく知っている。紙一枚に左右される運命など無いと笑う人もいるが、自分にはそうは思えない――そういう仕事に長く携わっているからだろうか。

手慣れた指使いで修正を終え、メールで橋本社長に修正版を送る。朝のコーヒーを淹れようと立ち上がったところで、固定電話が鳴った。ディスプレイには橋本建設の名前。

「はい、山本です」
「悪いけど、追加で載せたい工事がもう一つ見つかったんだ。そっちにデータ送るから頼むよ」
「わかりました、すぐ確認しますね」

予想の範囲内だ。山本はすぐにPC画面を切り替えてメールをチェック。ふと、“書類はただの事務処理じゃない”という自分の持論が頭をかすめる。あれこれ言葉で説明するよりも、淡々と作業を進めるほうがこの状況ではいいだろう。

画面越しに届くファイルを開きながら、山本はそっと微笑んだ。


第2章 新規依頼、フレンチレストラン開業の夢

昼前。メールのやりとりを終えたところへ、先ほど問い合わせがあった川原という女性から電話が入った。「細かい話を聞きたいので、直接うかがってもいいですか?」とのこと。もちろんOKだ。

わずか30分後、川原がやってきた。ショートヘアで落ち着いた雰囲気だが、どこか緊張気味に見える。名刺交換を済ませ、席に通す。

「実は都心のレストランで修業して、地元でフレンチをやろうと思ってるんです。でも飲食店営業許可って、何が必要か調べるほどわからなくなって……」
「なるほど。保健所の許可のことですね。設置基準やシンクの数、場合によっては換気扇の配置なんかも注意が必要です」

山本はパソコンで用意しているチェックリストを開く。これまで手がけた飲食関係の手続きでまとめたもので、川原に見せながら一項目ずつ流れを説明していく。川原は少し驚いたように目を瞬かせた。

「こんなに……内装業者さんにも細かいことを聞いてないし、生ものを扱うかどうかも曖昧で」
「最初に押さえておけば、後からムダな出費を抑えられますよ。保健所の検査は完成した内装を見て判断するので、やり直し工事が必要になると大変ですし」

ここで少し迷った末、山本はやんわりと付け加えた。

「店を開くって大きな夢じゃないですか。書類がいい加減だと、その夢が遠ざかるかもしれません。だから、大変でもひとつずつ整えていきましょう」

深刻になり過ぎないよう、やさしい笑みを添える。実際、フレンチレストランを開業したいという想いは大きいはずなのに、手続きのせいでくじけられてはもったいない。紙一枚で救える未来があるなら、それを全力でサポートするのが自分の役目だ――しかし口に出すほどでもない。川原は安堵したように息をつき、メモを取り始める。

「シンクの数やレイアウトはよく考えますね。あと、保健所への提出書類は山本さんに依頼すればいいんでしょうか?」
「もちろん。必要に応じて工事業者とも連携できます。わからないことはどんどん聞いてください」

ちょうどいいタイミングで電話が鳴った。ディスプレイにはまたしても橋本社長の名が映る。川原に断って受話器を取り、簡単に対応。ちょっとした補足資料の不備の話だ。行き違いが多いのはいつものことだが、山本は苦笑しながら受話器を置く。

「すみません、今ちょっと建設業許可の更新手続きを抱えていて……」
「いえ、お忙しいところありがとうございます。私みたいな個人でも大丈夫でしょうか?」
「もちろん、大丈夫ですよ。書類の規模は違えど、やるべきことは同じですから」

そう、書類の規模や種類こそ違っても、それぞれの依頼人にはそれぞれの事情とリスクがある。山本は「いずれ詳しく説明しますね」と川原に言ってから、コーヒーをすすめた。

「お好きでしたらどうぞ。少し落ち着いて、頭を整理しましょうか」

川原はありがたそうに笑顔を返す。湯気の立つコーヒーの香りが漂い、ふと窓の向こうを見れば穏やかな午後の日差しが射している。遠くにかすんだ海が見えるけれど、あまり大げさに描きたくはない。ただ、この街で、今日も書類に向き合う人々の想いを受け止めている――それだけわかれば十分だ。


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