朝井リョウ『生殖記』感想 ⚠ネタバレアリ
【あらすじ】
朝井リョウの小説『生殖記』は、33歳の会社員・達家尚成(たついえ なおなり)を主人公に、彼の日常と内面をユニークな語り手の視点から描いた物語である。尚成は家電メーカー総務部に勤めており、冒頭では同僚と2人で新宿の家電量販店を訪れている。彼らは体組成計(体脂肪なども計測できる体重計)を買いに来たが、その目的は健康管理ではなく「寿命を効率よく消費するため」という奇妙な発想である。日々の時間を何とか潰そうとする尚成の日常が、ここから描かれていく。
本作の語り手は非常に変わっており、尚成という“ヒトのオス個体”に宿る「◯◯」目線で物語が綴られる。その正体は作中序盤では伏せられているが、実は尚成自身の「生殖本能」、つまり男性器(チ〇コ)である。この語り手「私」は、同性愛者である尚成と30年以上行動を共にしてきながら活躍の場がないことを嘆きつつ、「自分たちがどうしようもない社会の仕組みに組み込まれているか」を淡々と観察している。物語は、この異性愛中心社会にしっくりこない尚成を、語り手が密かに応援し見守るという構図で進んでいく。
尚成はゲイであることを隠しながら、家電メーカーでそつなく働き、会社でも独身寮でもなるべく周囲と衝突せずに“擬態”している。仕事自体は淡々とこなし、昇進欲もあまりなく、みなが嫌がる雑務を引き受けて給料がもらえればそれでいいと考えている。会社は“生きるための手段”程度の場所であり、将来出世して家族を養うなどという発想は初めから持ち合わせていない。だからこそ「普通の人生」を生きる同僚たちとの温度差にとまどい、社会から取り残されているような感覚に苛まれている。
異性愛者は恋愛・結婚・子育てを通じて次の世代や共同体に貢献できるが、ゲイである尚成にはそれが難しい。つまり“拡大・発展・成長”の流れに乗ることができず、自分は生きがいのかけらもなく社会のお荷物ではないか、という漠然とした不安をずっと抱えている。この「子孫を残せない」現実が彼に重くのしかかり、すでに生まれ落ちた今から死ぬまでの長い時間をどう潰すかが、尚成の日々の主題となっている。
ストーリー全体では、同僚たちとの何気ない会話や会社でのエピソードを通じて、尚成が抱える孤独や虚無感が徐々に浮き彫りにされる。語り手は「生殖本能」だけあって、人間社会が生殖を前提に作られていることを冷静に見つめる。異性愛者であれば当たり前の「次世代をもうける」という行為から外れた尚成は、それ故に“お役御免”感や孤立感を拭えない。
物語の終盤、尚成は社会に感じていた根源的な違和感の正体に気づく。子孫を残せない、あるいは残さない人間が“不完全”とされる社会構造自体がおかしいのではないか。技術が進歩し、もし男性同士や女性同士でも子をもうけられる時代が来れば、皆が平等に“拡大・発展・成長”という生物学的目的を果たせるようになるかもしれない。そうなれば一人ひとりが肩身狭い思いをせずに済むのではないか。そう考えた尚成は、生殖を中心とした社会の「当たり前」を疑い始め、一瞬ながら自分なりの“しっくり”する感覚を掴む。最終的に語り手である「私」は、尚成と共に「いつかこの世界が変わるかもしれない」という希望を胸に秘めて物語を閉じる。結末自体は明確には描かれておらず、読者に余韻と問いかけを残す形となっている。
【テーマ・メッセージ】
『生殖記』の主要なテーマは、「人間にとって幸福とは何か」という問いである。作中では特に、生殖(子孫を残すこと)と共同体への所属が、個人の幸福感にどう関わるかが掘り下げられている。主人公の尚成は異性愛中心社会に自分の場所を得られず、マイノリティの生きづらさや社会の一元的価値観への疑問を抱え続ける。
物語ではアドラー心理学的な「共同体感覚」も示唆される。人は所属する共同体の拡大や発展に寄与することで自己肯定を得るが、それは異性愛が前提の社会では自然に用意されている仕組みだ。しかし尚成のような同性愛者には、本来の意味での“拡大”が難しい。多様性が尊ばれるようになった時代とはいえ、現実には「子どもを持つことが当たり前」とされる暗黙の価値観が依然として強く残っている。そんな中で生殖に参加しない個体は、生産性のない存在として切り捨てられてしまう。
朝井リョウはこの“生殖本能”を語り手に据えることで、読者に改めて「生きる目的」や「社会の前提」を考えさせる。表面的なLGBT受容の裏には、マジョリティ側の「受け入れてあげている」という優位性が隠されてはいないか。社会そのものが生殖と拡大という生物学的な前提を土台にしている限り、子どもを持たない人生は脇道に追いやられ続けるのではないか。そうした問題提起が本作の核心にある。
タイトルの『生殖記』には、「生殖と人間社会をめぐる根源的な問い」が込められている。主人公の男性器自身が語り手となる奇抜な設定によって、そもそも生殖とは何か、人間はいかに生殖に翻弄されているのかを鋭く浮かび上がらせている。前作『正欲』に続き、朝井リョウはマイノリティの視点から社会の当たり前を揺さぶる問題作を生み出したと言える。
【評価・レビュー】
『生殖記』は発売直後から大きく話題となり、多数の感想が寄せられた。読書SNSでは多くの人が登録・レビューを投稿し、全体的には高評価が目立つ。特に「語り手の設定が斬新」「朝井リョウの新たな挑戦を感じる」といった称賛が多く、「ユーモアと皮肉が同居する筆致が面白い」「読後に自分の価値観を問い直すきっかけになった」というポジティブな意見が圧倒的だ。
一方、否定的な意見としては、「ストーリーに大きな起伏がなく平坦に感じた」「独特の文体で読みづらい」「読後に消化不良を起こした」という声がある。哲学的なテーマゆえに物語性が薄いと感じる人や、語り手が一貫して主人公を解説するスタイルに退屈さを覚える人もいる。結末が明確に描かれないため、「もう少し物語としてオチが欲しかった」という感想も見られた。しかし、総合的には「人間の本質や社会の仕組みを考えさせる意欲作」「人によって賛否あるだろうが読む価値が高い作品」という評価が多くを占めている。
多くの読者が指摘するように、本作を読んだ後には「そもそも“普通”の在り方とは何か」「生殖や出産が人生の目的とされる社会構造は変わるべきではないのか」という問いが残る。朝井リョウが提示するその問題提起は、既存の枠組みを疑う重要性を強調しており、『生殖記』は現代社会に対する鋭い風刺と深い洞察に満ちた小説として、多くの人に強い印象を与えた。
【生殖記を読んだ感想】
■生殖器の第三者視点のナレーターとして話が進んでいく
・同性愛者の主人公の生殖器が擬人化してしゃべりだす
・変わった立場をナレーターとする選択肢があるのか。
・GPT小説で取り入れられるかもしれない。
■「拡大・発展・成長」
人間は個人としても組織としても成長し続けていきたい
怠惰を悪とするのは、この考えが根本にあるからどんな大富豪でもお金を増やし続けたいのはこれと同じだろうな。
拡大発展成長のレールを進んでいたほうが本能的に自身を肯定しやすい
人は人生を後退させたくないから、非合理的なことがわかっていても進み続けたい
■しっくり来ない
世の中の同性愛者に対する意見について、非難する声も擁護する声もしっくりこない
それはなぜなのか。薄っぺらい表面的な話だから
そこがしっくり来るほど掘り下げて考えていて面白かった
■監視カメラ
人間は気を抜くと、何もしない怠惰な「ヒト」となってしまう
成長のレールを進んでいきたいから、ヒトであるよりも人間でありたい
だからこそ頑張る原動力となるような自分を見てくれる存在が欲しい
それを「監視カメラ」というマイナス要素を持つような言葉で表すのが面白いな
原動力となる監視カメラは「我が子供」
俺にとっての監視カメラは「毎日日記」かな
■静かなる退職
主人公の尚弘の働き方が、まさにクワイエット・クイッティングだった
労力を最小限に収入だけもらう働き方であれば、そのほうがコスパ良いのかもしれない
仕事の代わりにプライベートを充実させようという考えの人が多い傾向なのかな。
■クワイエット・クイッティングとは
"クワイエット・クイッティング(Quiet Quitting)とは、会社は辞めずに在籍しながらも仕事への熱意を失い、求められる最低限の業務だけをこなす働き方を指します。
言葉の直訳は「静かに退職する」ですが、実際には退職そのものではなく「まるで退職したかのように必要最低限の仕事だけ行い、精神的には仕事から距離を置く状態」を意味します。例えば就業時間以外は一切働かず、残業や積極的な業務拡大をしないといったスタンスで、与えられたタスクのみを淡々と遂行するのが特徴です"
これは日本だけではなく世界で見られる兆候らしい。
■共同体感覚
アドラー心理学的な共同体感覚が描かれていて嬉しかった