NEWあやとり家族〜自分を顧みる〜
逃げていただけ
思い返せば、何かあるたびに直視するのが怖くて逃げてきたということに気がついた。目の前の問題を自分の力で解決しようとせず、他人に愚痴ったり、聞いて欲しいだけで連日のように電話をかけ聞いてもらって自己満足。理解してくれる人探しの旅だった
逃げ癖がついていたことに気がついた、今更だけど。
もう大人なのに今頃気づいた
理由づけはいくらでもできる
言い訳だったらいくらでもでる。ADHDだからとか発達障害だからとか共依存もあってアダルトチルドレンで育ってとか
でも、同じ特性を持っている人も頑張って社会生活を送って楽しく生活できている人もいるんだなって。そこには自分の努力、自己理解を凄まじくやってこられたからの結果なのではないかと感じるようになった
本当に言い訳だけど、もちろんこうなった原因に自分の特性だとか、家庭環境はある
だけどそこに執着していつまでも自分が可哀想だとか、こういう環境だったからこうなったとかもうどうでもいいのではないかと思ってきた
母のことも兄弟姉妹のことも今は全く恨んでもいないいし、それよりも自分がこれからどうしていかなければいけないのか、そちらに思考が向いている
とはいえ変えていくことには時間がかかる
正直何をしたら良いのかわからないのが現状。とりあえず生活を正すことに今は集中して毎日を過ごしている
朝、お寺にお参りに行ってそのあと瞑想して写経をする。
時間があれば運動したりもしたいのだが、体重が減少しているので体力を戻すことが先決。
”睡眠と食事と運動”これがきちんとできるように今はこれが目標
一時期はお風呂に入るのも疲れてしまう、歯磨きがやっとなんて日もあって、
そんな自分が嫌になって。いつも部屋は綺麗にしているのにそれすらできなくてストレス溜めて自分のことがどんどん嫌になって
これ繰り返していたら”自分やばい”って気がついて
病院行って経腸栄養剤もらって、食べられなくてもそれだけは飲むようにして
休みの日には力振り絞って買い物行って、野菜切るとかそういう力もないから、でも食べないとってカット野菜に頼って。
一気に食べることができるのは鍋だなっていうことに気がついてからは
ずっと鍋で野菜とタンパク質取るようにして
ここまで工夫するまでも時間がかかった
思い込み
こんな状態になっても、自分が食欲がなくなるくらいのストレスがあって
痩せて体力がなくなっていることに気がついていなかったから
いつも通りにできると思い込んでいた
なんで今日はできないんだろう?とか面倒だなっていうことに疲れているんだろうな、くらいにしか思っていなかった
他人軸で生きていると自分のことがここまでわからなくなるっていうことに気がついた瞬間だった
完璧主義に惑わされないで、自分のことを受容していく練習
きっと、こうしたいと思っても体調が悪くてできない日もあると思う。実際にあったし。そういう時に出てくるのが完璧主義
”だめだ、決めたのにできなかった今日”って自分を責めてしまうこともあった
それももうやめた、そういうことって誰にでもあるし、毎日完璧にやろうとしたら疲れるのは当たり前だし。
一つでもできたら、”よくやった”こんな状態なのにできたじゃん!!って
自分のこと認めてあげるのも練習
すぐに変わることはできないけど
長い時間かけて自分のこと理解して変わっていこうと思う。
今までの生き方考え方で、共依存になった。
借金まで作って自己破産の可能性もある状況でよくやっているなって、そこだけでも褒めてあげようって思う。しかもそんな中で生活を正そうって頑張っている自分のこと認めないなんて可哀想すぎる。本当によくやっていると思う。
でもそこには、私のことを助けてくれる友人や他者の方々がいて一人では絶対にこういう気持ちにはなれなかった。やれることからひとつずつやっていこうと決心した。ゆっくりでいい。人と比べなくていい。まずは自分のことを信じることから始めていこうと思う