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あやとり家族四十四〜父が入院となって〜
初めて機能した家族(長姉以外)
ある朝、父が痛みの限界をむかえ自ら「病院へ行く」と言った
決して病院に入院したかったわけではなく、痛みを取り除きたい一心だった
7時頃だったろうか、主治医の自宅に電話をし病室の受け入れ態勢をとってもらう
救急車が嫌だという父のために用意した車に、家族総出で車椅子ごと振動のないように乗せる
病院につき、モルヒネが投与された。
モルヒネが始まると眠りについてとても穏やかになった
お昼頃になり父は目を開けた
痛みはだいぶ軽減されていたようだ
家族の心配をする反面、寂しがり屋の父は誰かしら病室にいてほしいと願った
そこで家族会議が開かれた
家族中の仕事の日休みの日を照らし合わせ、いつ誰が何時まで居れるかスケジュールを立てた
そのスケジュール通りにみんなが動く
私は大抵夜勤前と夜勤明けの日に交換しに行った
病院の近くだったこともあり、仕事の休憩時間にも病院へ行った
そんな生活をしている間、姉だけは男に夢中になっていて約束した時に来ないこともあったが、みんなの想定内だったため何の問題もなかった
父の不倫相手も同様だった
母は”最期だから子どもを連れていつでも会いにきて良い”と伝えていたが
(不倫相手のためではなく、まだ小さかった父の子どものためだ)
その頃には新しい恋人を見つけており、父の病室に来ることはほとんどなかった
父が死んだ日のこと
朝方、大きなため息をついて呼吸が止まった
この日は、母と私が泊まっていて父の最期を見届けた
実家に連絡をし、みんなが集まってから死亡確認をした
狂ったように一番泣きじゃくる長姉
何もしていないくせに、すごいな
マザコンだった父を溺愛していた祖母は、父の顔にかけた白い布を
「こんなの被せたら息ができないじゃないか」とはずし、取り乱す
「お義母さん、、、」とそれを母が止める
霊安室に入り一旦落ち着くと母はすぐに実家に帰って行った
私たちも連れて
実家に帰ると母方の親族が、掃除やら食器類を出したり
精進料理を作っている
父方の祖母と、母方の祖母は犬猿の仲だ
未成年だった私は葬儀のことなど何もわからない
とにかく服を着替えるように言われた
父が亡くなる2週間ほど前のことだった
母に連れられデパートへ行った
喪服を買うためだ
「何で買うの?お父さん死んでないよ」って
「いいから試着してきなさい」
そうして私たち兄妹の喪服は準備された
こういう段取りは、母の得意なところなのだろう
仕事上では良いが、家庭に置き換え考えると機械的に感じた
ミッションを遂行するために感情はいらないっという感じ
お通夜から葬儀が終わるまで、母のミッションは淡々と行われ、私たちは言うことを聞いてその通りにした
その間、母は一度も泣かなかった
泣く時間すらなかったんだと思う
人が死ぬという大きな状況下だったから仕方なかったとは思うが
もっと自分らしく、人間らしくいられたら楽なのにな
自分のことをうまく表現できない母
母もまた同様、祖母から感情表現を教われなかった被害者
そんな母に育てられた私も、自分の感情を表現できないでいる