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【命と水の神】故郷にあるお社を訪ねてみよう

私の人生はまさに波乱万丈。その始まりは、7か月半仮死状態でこの世界に生を受けたことから始まります。
救急車もあまりない小さな南西諸島でしたから、取り上げた医師は大慌てでタクシーを手配。
出産に立ち会っていた祖母がスカート風呂敷のようにして抱え、県立の総合病院へ運んだそうです。
出生時の体重は1,000gくらいだったといいます。

たった1つの保育器に救われた命

県立病院で用意のあった保育器は2台。
保育器があるのは県立病院だけだったので、つまりは島で2台しかないわけです。
その日はたまたまお産がなく、すぐに小児科医に診てもらえたこと、その2台しかない1台が今日空いたことで私の命は救われました。

奇跡の保育器

庭先にあった2つの井戸がもたらした生きる力


私の家系は、沖縄で「ユタ」や「神んちゅ」と呼ばれる霊能者の家系で、生家本家の庭、近所に井戸の神様がお祀りされていました。
水道が普及した後は、霊能者の家にある井戸は埋められずに拝所となっている光景はよくありました。

あまりに小さく生まれた私を心配して、祖父母はその3つの井戸の神様に毎日祈っていたそうです。
幼い時に何度か入院するほどの病気になりましたが、その時もその井戸に祈れば大抵のことは解決できた、と祖母は懐かしそうに目を細めていました。

苦しい時の神頼みはふるさとの”水の神”

井戸の話を祖父母から聞かされた時から私は感じていました。
どんなに厳しい状況でも、見えない力が私を支えてくれていると。
島を離れてからも、人生の困難な局面に立たされた時、井戸の神様の存在を思い出し、その力を借りて立ち直ることができたのです。
道路拡張で3つの井戸がなくなるとき、たくさんのお供え物を持って祖父母が長く手を合わせていた背中を今も覚えています。

私の場合は井戸に祀られていた水の神でしたが、地域によっては川の側や湧き水など自然の中にあることもあります。大きな神社だと、境内の一角に末社として祀られているかもしれません。皆さんも是非、自分が生まれた地域の神社にひっそりとお祀りされているような水神様を探してみてください。あなたに力を与える縁に出会えるかもしれません。


幽玄(ゆうげん)

小さなしがらみから1つずつ抜け出す

現在、私はがんと闘いながらも、占いやスピリチュアルなアドバイスを通じて、ご縁ある人々の霊に語り掛け続けています。幼い頃からの苦難の道のりがこの霊的成長を助けたと確信しています。
生きる力を与えてくれたのは後にも先にも今はない心の中の3つの井戸の存在です。劇的に変わっていったのではなく、鍛えられた感性に忠実に切り抜けることで生きてこれました。
消えてしまいたくなるほど追いつめられた時、周囲に叱責や非難を受けてもしがらみを脱ぎ捨てることができれば今を生き抜けることができるでしょう。

  • 配偶者のモラハラに追いつめられる日々

  • ワンオペ子育てに生きる意味を見失いそうな日々

  • 働いても働いてもかさむ借金に先の見えない暮らし

家庭におけるしがらみというものは

これは私にだけ言えることではなく、到底受け入れられない考えかもしれませんが、確かに誰にとっても苦難は成長につながっています。また消えたくなるほど(または消されてしまうほど)追いつめられる時こそ、爆発的なエネルギーで自分を解放する環境が引き寄せられています。

日常から飛び出してみる

生きづらいと感じているあなたへ。
私たちは肉体に宿る前、小さな塵のように流れ、ただ「私」という意識がある存在でした。

脈々と地下を流れる水や磁場によって社と地縁を結びます。
幸せそうなカップルを見てこの二人の間に誕生したい、孤独な母親を癒したいと願う、生きがいを見つけたい父親の元に生まれよう、ただただ純粋な愛や希望だけを感じて引き寄せられます。

その後に待っていた経験は意図せず思ってもいなかったものかもしれません。肉体を離脱する魂もあれば、心の奥底で永い眠りにつくものもあります。
あなたはきっとそろそろ起きなきゃと浦島太郎のようにやってきたのかもしれません。

今一度、故郷のお社を訪ねてみてください。
水神と対話してみてください。
そうして心が満たされるのを感じることを願っています。


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