映画「PERFECT DAYS」

ちょうど一年前のこと。
JR広島駅の自由通路に縦横1×10メートルの広告が現れた。

分割したポスターを通路に並べて
「PERFECT DAYS」のロゴがドスンと迫ってくる。

年末年始でごったがえず往来で
アニメでもアクションでもない、
地味な映画の宣伝が気になった。

あれから一年。
サブスクで鑑賞する機会を得た。

ストーリーは単純明快だ。
エッセンシャルワークに就く
シニアの独身男性の日常が描かれる。
風呂なしアパートで、パソコンもスマホもなし。
朝起きて、歯磨きして、仕事して、
銭湯行って、ビール飲んで、
読書して、寝て、目が覚めての繰り返し。
いくつかのノイズ的な出来事が起こるものの、
サイクリックな日常に淀みはない。
感情を抑揚もコントロールし、
木漏れ日や夕焼けなどのふとした景色から
男は癒しを調達し満足する。

男の生活に過剰は見当たらない。
欲得まみれでもなく、
禁欲まみれでもなく、
低負荷低浸潤でサステナブルな生き方だ。
俺にもあなたにも実現できるセイヒン生活の
ロールモデルがそこにある。

しかし、こんなに素直に受け取ってよいものだろうか?

よくよく見るとこんな場面がある。

何回も繰り返されるトイレ掃除の場面、
利用者が来ると、男は作業を止めて外で待つが、
用事の済んだ利用者はさっさと去るだけだ
男に関心を寄せる者はいない。

またこんな場面もあった。
トイレの隙間に隠された置手紙。
謎の相手と交わされるのは〇×の記号だけ。
意味ある交流はなされない。

エッセンシャルワーカーの男の問題は
疎外にあるとしたらどうだろう。
男の清貧は自己防衛の結果であるとしたら…

「PERFECT 」とは、
分断化し疎外を深める社会への、
質の悪い冗談なのではなかろうか。

ならば、
公共空間にことさらデカイ広告を打つ
意図は変わってくる。

残念だかメッセージはこうだ。

「つべこべ言わずに働きやがれ!」
私には、自己責任野郎が仕掛けた
手の込んだスローガンに思えてならない。











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