本当は悲しい、仮面ライダーと怪人の戦い
「さらば!怪獣VOW」という本を読んだ。
この本は、宝島社から刊行されていた「VOW」という読者からの変なモノの投稿を掲載するいわば「ナニコレ珍百景」みたいな内容の本の派生版として3冊が刊行された「怪獣VOWシリーズ」の最終作で、内容的には今までの「怪獣VOWシリーズ」と同様、特撮ドラマ、映画の変なトコロを指摘する……!という内容で、基本的にくだらなくサクサク読めるのだが、そのくだらない文章から、一箇所だけ気になる文章を発見してしまった!
それはこんな文章だ。
「仮面ライダーに先輩も後輩もあるのか?1号からV3までは分かるが、Xライダー以降は前の3人と知り合いじゃないし、改造人間としてのコンセプトもぜんぜん違う。ブラックサタンに改造されたストロンガーがV3の後輩なら、奇っ械人だって後輩になるはずだ。V3とストロンガーは、ただ、似てるだけだ。」
一見、ただのツッコミに見える。僕がこの文章を気になってしまったのは、単なる気まぐれか、僕が異常なほど疑り深いだけかもしれない。だが、この文章の中から昭和仮面ライダーシリーズの本質を読み取れる気がするのだ。
この文章の中で本当に僕が注目してほしいのは、わざわざ太字にした「奇っ械人だって後輩になるはずだ」という文。本当のことを言うとそれ以外の文章は省いても良かった。でも引用しちゃった。なんでだろ?なんとなくだな。
んで、奇っ怪人というのは直前に言及されている仮面ライダーストロンガーの敵組織、ブラックサタンに所属する怪人たちの事で、仮面ライダーストロンガーと同様、ブラックサタンに改造された存在である。
改造されたところが同じならば、先輩後輩の関係が出来てもおかしくないという考え方は共感できる。つまり、「仮面ライダーストロンガー」は、同じ場所の出身の先輩後輩たちが勝手に殴り合ってるだけのストーリーだったのだッ!
なーんだ、正義と悪の戦いかと思ったら、戦いの図式自体は「タイガーマスク」とほぼほぼ同じだったのか〜。とほほ。
って違う!いやいや違うん訳では無いんだけど、わざわざガッカリするためにこの文章を書いたわけじゃないんだよ!この「同じ場所の出身の先輩後輩たちが勝手に殴り合ってるだけのストーリーだった」という解釈から、昭和仮面ライダーの悲しさの本質が実は見えてくるんだよッ!
ちょっと何言ってるかわかんない人のために、ちょっと説明しよう。
悪の組織に改造されたタイプの仮面ライダーは皆、運が良かったから改造される際に洗脳されず逃げ出すことが出来た。これは良いことだ。しかし、どんなに改造前に性格が良かったとしても、ライダー達のように運が良くなければ、洗脳されて組織の意のままに動く怪人にされてしまうのだ。
つまり、全ては結局「運」なのである。偶然と運。それが正義の使者になるか悪の使いになるかの分かれ道だとは、あまりにも辛い。
そして、運が良くて逃げ出せた者…仮面ライダーが元々は同じ人間だったのに、運が悪かったために逃げ出せず、自我を失い悪の使いになってしまった怪人を正義の為に殺す。元々は同じ人間であり、おなじ組織に改造された存在であるいわば「元同僚」をである。これは正義の為とはいえとても酷い。
仮面ライダー達も絶対、その事は考えていたはずなのだ。
だから、昭和仮面ライダー…..特に初期の「旧1号編」などでは、仮面ライダーが怪人を倒してバイクで去っていく姿には敵を倒して得るカタルシスよりも、哀しみが感じられたように思う。
え?そんなことないし、誰も仮面ライダーに哀愁なんか求めてないだろうって?
ア、アンタ、そりゃ全くわかってませんなあ!石ノ森章太郎先生の原作「仮面ライダー」を読みなさいよ!
この原作バージョンの仮面ライダーの何が哀愁かって、本郷猛が仮面をかぶる時に発するセリフからしてもう哀愁そのものである。
原作での本郷猛は、ショッカーによる改造手術の途中で逃げ出したため手術が不完全で、そのため感情が高ぶると顔に醜い手術の痕が浮かんでしまう….。という設定だった。
その手術の痕を立花藤兵衛に見られた本郷はこう言う。
「怒りが…..俺の傷あとを……よみがえらせる!」
「…….そしてこの仮面だけが……」
「傷あとを…..心を…..かくしてくれるんだ!」
そう!原作での本郷がバッタの仮面をわざわざかぶる理由は、(原作での仮面ライダーは、変身すると勝手に仮面姿になってる訳ではなく、仮面を自分でかぶるスタイルだった。)手術の途中で運が良かったために出来てしまった傷痕を隠すためであり、同時に改造手術を受けさせられてしまったことへの怒りや悲しみを無表情な仮面で隠すためだったのだ!(無表情なあの仮面なら感情が伝わらない!)
うーーーーーーーん、悲しすぎるぞ!原作ライダー!うわぁぁぁーーーん!悲しすぎてこのnoteもう書けない!
なんて、泣き言を言っている場合ではない。とりあえず、「仮面ライダー」という作品には、哀愁もつきまとっているものという事が理解していただけただろう。
だが、仮面ライダーは、運に左右されて同じ仲間だったはずの怪人たちを倒してしまい、悲しんでいるわけではないッ!それを紹介してくれる力強いセリフが原作に存在している。それは、第二話での敵、こうもり男を倒した後のセリフである。
「……この男ももとはといえば……普通の人間だった」
「ショッカーのあわれな犠牲者なのだ!」
「……この不幸をなくすには、ショッカーを根絶やしにするほかに、方法はない!」
うーん、カッコいいな。「ショッカーのあわれな犠牲者」である怪人を不幸だと感じつつ、ショッカー打倒を改めて誓う。いいぞ仮面ライダー。その調子で、悲しみを乗り越えて進むんだァ!
いやあ、こんなことまで考えさせてくれる「怪獣VOW」って偉大ですね。え?お前が勝手な考察して勝手に話を広げてるだけだって?
いやあ、それはごもっともで。