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【感想】黒の中の色彩 @ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション

展覧会の感想と浜口陽三への想いを語る。

【展覧会詳細】

会名:黒の中の色彩---カラーメゾチントを探る
会場:ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション
会期:2024年9月14日(土)〜12月15(日)

※ぐるっとパスで入場可能


● 出会い

浜口陽三のことを知った時期は忘れてしまったが、きっかけは覚えている。『なんでも鑑定団』だった。

VTRで流れた浜口陽三の西瓜の版画。
黒地に描かれた西瓜の浮かび上がるような赤。
普段は口にすることの無い、幽玄という言葉が浮かんだ。

カラーメゾチントという言葉もそのときに知る。
メゾチントとは銅版画の技法のひとつ。
白黒だったメゾチントの世界に色彩を持ち込んで、カラーメゾチントの創始者となった浜口陽三。

いつか本物を見たいと思った。

その後すぐに見に行ったのか、時間が経ってから行ったのかも忘れてしまったが、初めて「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」を訪れたときのこともよく覚えている。

テレビで見たときは浮かび上がってくる赤だと思ったが、目の当たりにした本物の西瓜の画は、沈み込んでいくような色をしていた。
夜の露天風呂に似ている。黒い水面に照明の光が揺れて、光と黒の境界線が絶えず揺らぐ、輪郭の曖昧さ。

けれども、この赤は沈んでいるのに不思議と目に訴えてくる。輪郭は曖昧なのに、目が覚めるような赤。覚醒。脳よりももっと深いところが目覚めるような感覚。

だがしかし一番印象に残ったのは、西瓜の赤でもさくらんぼの赤でもなく、『暗い背景のぶどう』の緑だった。

赤よりも一層、背景の黒に沈むぶどうの緑。その色をじっと見ていると、比喩ではなく本当に絵の中に吸い込まれそうになる。初めての感覚だった。

● 銅版画と時間

銅版画を見ていると、銅板やインクといった素材と同じく、「時間」も素材のひとつなのだと感じることができる。

まず、銅板を1つ彫り上げるのにひと月掛かるらしい。
そして、制作そのものに費やす直接的な時間の他に、感性を研ぎ澄ましたり、知を深めたり、作品を生み出すために費やす抽象的な時間もある。
手のひらに乗るほどの小さい銅版画にも、時間が圧縮されていると分かり圧倒される。
けばけばしい、見るものを圧倒する力ではなく、静かに、けれどもたしかに存在する時間の力が絵から放たれている。

作品を見ることは、背景にある目には見えない時間にも思いを馳せること。
アイドルを推すのも、スポーツ観戦に嵌まるのも、結局のところ、対象に「時間の圧縮」を見出しているのではないか。

時間を掛けて綿密に計算された形、色、質感。
けれども、銅版画は銅板を彫り上げただけでは完成しない。紙に刷られてはじめて作品と成る。

刷る環境で色味は変わる。
時が経てば退色するし、光を浴びても色は褪せる。

「版を押したような」とは、どれもこれも同じで個性がないことを揶揄する言葉として使われるが、同じ版で作られた作品であっても、どれひとつとして同じものはない。

どこまで彫るか。どこで止めるか。
時間を掛けて綿密に計算された「版」だとしても、作品の仕上がりは偶発性に左右される。
けれども、その偶発性を引き寄せるのは、やはり緻密に練られた戦略があってこそ。

浜口さんはパリの工房に通い、信頼する刷り師に印刷をお願いしたという。作品の仕上がりは刷り師の腕にかかっている。時間を掛けて築いた信頼があればこそ、まだ見ぬ作品の未来を楽しむ余裕が生まれる。

● 展覧会感想

メゾチントの黒はよく「ビロードのような」と形容される。

ビロード、たしかに。
しかし作品を見ていると、ビロード以外にも様々な質感が想起される。

作品No.29「さくらんぼ」やNo.51「14のさくらんぼ」に描かれたタータンチェックのような背景は、夏の暑さと秋の気配が入り交じるこの季節に見ると、麻のストールを思わせる。日が落ちてちょっと寒いと感じたときに、さっと羽織れる薄手のストール。
きっと冬に見ればカシミヤのマフラーを想起するだろう。

No.32「てんとう虫」の背後に描かれた緻密な葉の表面は、波打ち模様のセーターにしたい。細い毛糸で編まれたハイゲージのセーターでもいいし、ちょっと太めの毛糸で作ったローゲージのセーターも素敵。

No.44「びんとくるみ」の背景はゴザ。い草を丁寧に編み込んで作られたゴザ。寝そべりたい。もしくは細い竹を組んだスダレ。暑さから私を守っておくれ。

このように、版画という「紙」に描かれた作品を通して色々な質感に思いを馳せることができるわけだが、展示のラストを飾る内藤一樹さん撮影の写真を見て腑に落ちた。

銅版画の原版を、かなりの接写で撮影した写真。

そこには、肉眼では捉えることのできない、銅板に刻まれた無数の彫り跡が映し出されている。交差する直線が描く幾何学模様。

縦に、横に、ときに斜めに、直線が走る。
まさに織物ではないか。

麻のストールも、毛糸のセーターも、い草のゴザも、素材は違えど「糸」を織り上げて作っていく。時間を掛けて、時間も一緒に。

銅板に彫られた無数の線は、紙に印刷されて版画となり、それを見た者の頭の中で多様な質感に変化する。

想起の連鎖。それは心が打たれたときに起こる。

モニター越しの画像はのっぺりとしてしまい、色合いは本物から離れていくし、質感までは伝わらない。
とはいえ自分が浜口陽三を知ったきっかけはテレビだ。テレビのモニター越しに浜口陽三の画と出会った。心に刺さるものはモニター越しでも訴えてくるものがある。

けれどもやはり、本物を前にしたときにだけ起こる「脳を越えて胸に来る感じ」は特別で、これからも定期的に味わっていきたい。

● カフェ

ミュージアム併設のカフェで食べられる醤油アイス(さすがヤマサ)がお気に入りだったんだけど、リニューアルを機になくなってしまったらしい。残念。
なんにせよ今は無職で金がないから食べられないんだけど。将来おれも職を得られるようふんばるから、いつか醤油アイスも復活してくれないかな。稼いだ金でアイスを食うのだ。

【おまけ:箱崎ジャンクション】

ミュゼ浜口陽三のすぐ近くに聳える箱崎ジャンクション。ジャンクションの中でも指折りのカッコ良さを誇り、通いやすさは都内No.1だと思う。素敵。

ほら
ほ〜ら
な?
かっこいいじゃろ?


ところで今日、パソコンが動かなくなった。

挙動不審のあと何故かいきなりBIOS画面が立ち上がって、BIOS抜けたら黒い画面のままウンともスンともいわなくなっちゃった。
同じ黒なのに、版画と違ってモニター越しの黒はどうしてこんなにおれを絶望させるの?ウンでもスンでもいいからなんとか言ってよダーリン。


関係ないけど「霊岸島」もかっこいい。フィクション顔負けのかっこよさだ。霊岸島て。

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