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【感想】明日のアー本公演vol.10『整理と整頓と』@SOOO dramatic!

ずっと行ってみたいと思っていた「明日のアー」。
デイリーポータルZの大北さんが主宰をしている舞台。

何年も前から行きたいと思っていたのに、情報キャッチ能力の低さや行動力のなさが原因で、実際に足を運ぶことはできなかった。

そんなおれのもとに流れてきた情報↓↓↓

<10/24(木) アフタートークゲスト>
いとうせいこう × ダ・ヴィンチ・恐山 × 大北栄人

なんだって…!

・いとうせいこう   →好き
・ダ・ヴィンチ・恐山 →好き
・大北栄人      →好き

入谷に好きのトライフォースが集結するってこと…!?

こういうこと?

平日の19時から!?
絶賛無職、モーマンタイ!!
もしかしておれ、この日のために無職になったの!?

いま会いにゆきます…!!!


■ 演目詳細

■ 開演前

★ 会場まで
鶯谷駅から歩いて会場に向かう。
あまり訪れることのないエリアなので、目に入るすべてが新鮮。
放置自転車の前カゴに大量のゴミがつっこまれていた。
空きペットボトルやらなんやらがみっちりと詰まる中、1Lの牛乳パックが突き刺さっており、一際異彩を放っていた。
どういう流れでそうなったんだろう。
カオスな街、鶯谷。

★ 開演まで
開演5分前くらいに大北さんが出てきて、トイレの場所やら写真撮影の注意点などを丁寧に教えてくれる。

大北さん「暴れ草刈り機が出てきたら写真OKの合図です」

暴れ草刈り機…!?
会場の人たちも「あぁ、暴れ草刈り機ね~!OKOK!」くらいの感じ。

暴れ草刈り機……!!?

■ 本番

※ ネタバレはしていないつもりですが、ネタバレの有無を客観視できない(すみませぬ)ので、危険を感じた方は読まない方が正解です。

★ 期待を下回ったときの喜び
ユーモアとは「期待が下回ったときの喜び」なのだそう。
入ってきた情報が期待を下回ったときに「なんだこれ、くだらないな、しょうもないな、アハハ!」と面白くなる。

「だから我々は、あなたの期待を軽々と下回ってみせますよ!どうぞ安心してユーモアを堪能してくださいね!」というところから話は始まる。

まってくれ、置いてかないでくれ、大北さん。
始まってまだ3分ぞ。

アフタートークで恐山さんが「大北さんは天然ボケ。そもそもの感覚が一般の人とズレている。だから大北さん的には1つだけ捻りを入れたつもりでも、普通の人からするとボケの上からさらに捻りが加わっていることになり、一気に訳がわからなくなる」的なことをおっしゃっていた。

わ、私だけついていけないわけじゃないんだよね…?
たのむ、そうだと言ってくれ…!

***
まず、「期待を下回ったときに笑う」という感覚。
これは、魂のレベルが高い人しか持ち合わせていない感覚なのではないか?
その領域に達することができている人って、少数派なのでは。

「期待を下回ったときに笑う」という現象には、「期待を下回ったとき、残念を超えて、むしろ面白い」という、上がって、下がって、上がって、という工程があると思う。

この、「むしろ」の部分。一度下がったものを再び上げるという作業。ここにエネルギーが必要になる。
「くだらないなぁ」がご褒美になるためには、「"つまらない" を "面白い" に昇華する力」が受け手側に必要になる。
この力は生まれつき人間に備わっている機能ではなく、生きていく上で後天的に身に付けていく能力だと思う。

ということは、その能力を獲得していない人間は、期待を下回ったときに「がっかり」で終わる。

なーんだ、がっかり。つまんない。
そこで終わって、面白さにまでたどり着けない。

恐山さんのように「自分にその面白さを理解するためのソフトがインストールされていないから面白さがわからないのだ」と内省的に解釈できる人は稀で、普通の人はもっと短絡的に「相手がつまらないから面白くないんだ」で終わっている気がする。
期待を超えないと感じたときに、自分に意識を向ける人は少なく、相手に原因があると考える人が大半ではないだろうか。
相手に原因を見出すタイプの人の中には、くだらなさをご褒美に変換できるソフトがインストールされていないどころか、ダウンロードもできていない状態で、下手するとネットワークすらつながっていないような環境で、そういった人に対して働く「ユーモア」と、面白がる力を持つ人たちに対して働く「ユーモア」は、果たして同じ「ユーモア」なんだろうか。

***
なんてことを考える間もなく舞台は進む進む。

(今自分は目の前の現象を理解できているのか?本当に面白さをわかっているのか??)という漠然とした不安に襲われつつ、最終的にそんな不安がどうでもよくなるくらい圧倒的物量で畳みかけて来る。

もう、永山さんが出て来るだけで面白い。
わたくし、永山さまと本日が初めましてなのですけれども、目が離せない。

「銃でーす、病原菌でーす、鉄でーす」が本当に最高。
オートチューンキジバトも最高。

理屈とか全部吹っ飛ぶ。

パワー。


★ 「わかる」と笑う
人は「わかる」と笑う。モノマネやダジャレ、ツッコミなんかも、何かに「例え」て「わからせて」、わかった瞬間にみんなが笑う。

たしかに、と思う。

科挙に合格するためには古典がまるっと頭に入っている必要があったらしい。
だから科挙に合格して官吏となった者はもれなく全員古典の素養があったし、古典を用いて文書を作成する能力も、その文書を読んで「あぁ、この文はあの古典と繋がっているんだな。ここにあれを持ってくるのか、センスがいいな」と感じ取る能力も備えていた。

「わかる」がゆえの「おもしろさ」。
そして、同じ「わかる」を共有している仲間の存在。

本歌取りのおもしろさも根底は同じところにあると思う。
オマージュやリスペクト、最近ではミームなんかも根っこは同じだ。

わかった瞬間の喜びは大きい。
この面白さをもっと味わいたいと思う。

同時に、わからなかったときのポカン感よ。
元ネタがわからなくて「ポカン」となってしまったときの、あのさみしさ。

笑えるようになりたくて元ネタを「履修」するたびに、内なる自分から(それでいいのか?)というツッコミが入る。

お前がやってるのは、家電が好きで家電芸人になるのではなく、家電芸人になりたいから家電の勉強しているのと同じ構造じゃないのか?
人はそれを本末転倒と呼ぶんじゃないのか?

自分が無意識に興味を持って「知る」ことについて、自分は自分を批判しないのに、「わかる!」の連鎖を増やしたくて元ネタを「知りに行く」行為に対しては、おれの中のおれが侮蔑の視線を投げて来る。

でもでもおれよ、色んな引き出しにたくさんモノが詰まっていた方が、絶対に「わかる!」が増えて、人生面白くなるはずだよ!!
と、求められてもいない弁明を脳内で繰り広げる。

まいばすけっとで爆笑できるのも、まいばすけっとを知っているからこそじゃないか!!!

ちなみにおれは攻殻機動隊を見ていないけど、『蓋バト―選手権』でゲラゲラ笑ってる。

パワー。

■ アフタートーク

★ 備忘録
・舞台袖からせいこうさんが「その変な仮面…」と言っている声が漏れ聞こえる。なになに、どんな話してるんですか!?
・リュックを背負ってゲスト二人が登場。なんでリュック背負ってんの??
・せいこうさんのセーターかわいい。紺色のあみあみ。ほしい。
・そういえば衣装もかわいかった。7Aさんのスカート、素材といい裾の黒い縁といい最高。藤原さんのズボンとトチアキさんの上着もすてき。セットでほしい。
・大北さんのセーターもかわいい。柄とフリンジ。
・恐山さんはオモコロチャンネルのまんま。目の前で動いてらっしゃる、と感激した。でも胸ポケットにスマホがない。あれ?と思ってズボンを見たら、両サイドのポケットがパンパン。片方はスマホだとして、もう片方には何を入れているんだい??
・恐山さんが発言する度に、せいこうさんが「さすが」「いいこと言うね」と合いの手を入れる。天下のいとうせいこうに「さすが」と言われる人生。すごすぎ。恐山さんは本当にいいことしか言わない。
・開演前から思ってたけど、大北さんが纏うフワフワとした空気感がすごい。本当にフワフワ。浮いてる?
・リュック、最後まで降ろさないことある?


★ フラットな立ち位置
せいこうさんはズバズバとモノを言うし、語気が強めだから、もし対面で話したら「怒ってる…?」と萎縮してしまいそうなんだけど、発言の内容は相手への敬意で満ちている。
恐山さんに対する「さすがだね」という相槌もそうだし、大北さんに対して述べる舞台の感想もそう。

相手を「褒める」という行為は、上の立場から下に向かって言葉を発しているような気がして、するのもされるのも苦手なんだけど、せいこうさんの場合「褒める」のではなく「敬意を表す」という感じ。

上からモノを言うでもなく、下から相手を持ち上げるのでもなく、相手と同じ高さからフラットに、良いと感じたものをただ「良い」と伝えている。だからきっと、よろしくないと思ったものに対しては正直に「よろしくない」と言うんだろうな、と思わせてくれる。

もちろん、今日が初見で、いち観客に過ぎない自分が実情を推し量ることなんてできない。
けれど、そんな相手に対しても「この人の言葉は誠実だ」と思わせることができたなら、それはもう優勝なのでは。

「わかるから面白い」の「わかる」の中には、「わかったような気になる」も含まれるのだ。

この会場には舞台の上も下もない。
演者と地続きな場所に観客席が用意されている。観客は演者と同じ高さで観劇する。
なんなら、演者も自分の出番じゃないときは、中央で繰り広げられている快(怪?)演を、端で見ながらゲラゲラ笑ってる。
大北さんにいたっては、自分以外の全員が熱演する様を、演技に混ざるでもなく、解説をするわけでもなく、ただニコニコしながら眺めるだけの見守りタイムがあり、せいこうさんに「お前のポジションなんなの?」とツッコまれていた。

自由かよ。
すてきだね。

■ まとめ

大北さんは本当にずっとフワフワしていて、穏やかなしゃべり方といい、どこに焦点が合っているのかわからない目線と言い、浮世離れというか、実際に浮いてる?と疑ってしまうくらいフワフワしたお方で、もし自分が死んだときにこの人が天界で受付やってたら「やっぱり天上人だったんだな」と納得してしまうくらい捉えどころのないお方だったのですが、そんなお方が繰り出す「意味がわからないよ」と「わかった!」が交互に押し寄せてきて、しかも中にはそういう理屈を抜きにした原液そのままのおもしろ汁が飛び出す瞬間もあって、とても良い経験でした。みなさまお疲れさまです。おれも疲れました!

ようやく足を運ぶことができてよかった!
無職万歳!

公演10回目にして藤原さんが覚醒を迎えたらしい。その変遷、この目で追いたかった…!次の10年は見届けるぞ!

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