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納豆うらない

こんにちはこんばんは瀬戸です。毎日なにもない、いやなにもあるけど、とにもかくにも平和。朝起きて、お弁当作ってオユちゃんにいってきますして、仕事して、終えて、たまに泳いで、トマト買って帰って、ごはん作って食べて、ちょっと本読んでちょっとなにか書いてちょっと人と話して、洗濯して、掃除して、オユちゃんに愛してるよおやすみして、ベットに入る。同じことの繰り返しのようにも思うけど、少しずつ違いはあって、飽きることを知らない。体調もよい。去年は今くらいからちょこちょこ不具合を起こしていたから、この秋は全力で健康でありたいと思う。


お金は使うためにある。

天国にお金は持っていけない。知識も感動も思い出も言葉もお金では買えない。楽しく暮らすための都合よい大義名分ではあるけど、我慢のうちに人生が終わるのはいやだという若さは私にもまだある。大学生くらいのときは、バイトと奨学金(バイトは好きだったけど時給相応の働き以上のことはしない主義)というとんでもなく面白味のないお金で生活を回していたから、なんかいつも不安で心細くてお金を使うこともあまり楽しくなかった。躊躇の上でお金を使ってた。お金が減ることが怖かった。ウエルシアで3パック78円で売ってたお豆腐と、99円バナナと、のりたま(丸美屋のふりかけ)と、ツナ缶と、3年間働いてた蕎麦屋(例の大将の店)のまかないごはんで生き延びていたと言っても過言ではない。体調が芳しくなくてバイトお休みしてたころってどうやって生きていたんだろう、もう忘れた。いま生きてるんだからオッケーです。


なんとか社会人になり、当然潤沢なわけではないけど毎月生きられるくらいのお金は頂けるようになって、学生時代に比べれば心に余裕が生まれるようになった。社会人になりたてだというのに諸事情で2回も引っ越しせねばならず(自分が選んだんだけど)、自分が病気になり(致し方なし)、オユちゃんが体調を崩し(致し方なし)、突然洗濯機が壊れて買いなおしになり(泣けた)、高望みな資格を得るために受講料というバカ高い投資をし(納得してるのでよし)、ロジャーを買い(これは買ってよかった)、スマホを買い(これも買ってよかった)、いやこうして書いてみるとなかなかに経済を回したんだなと思えてくる。浪費って言葉のことあんまり好きじゃない、私がお金を使うことで誰かの生活を扶けているわけだし、盗んだお金じゃなくて自分で頑張って得てきたお金なわけ。これらのお金によって私は幸せに健康になってきたんだから、会社ありがとうお金ありがとうの一言に尽きる。



毎度毎度前置きが長いんだよな、まあいいです。

とろっ豆という納豆がある。納豆界としては革新的な、フィルムなしタレ袋なし納豆。絶妙な発酵具合の豆は柔らかくて、かき混ぜのときの泡立ちも最高にいい。タレ袋はないけど、フタにタレが内蔵されていて、両端を持ってパキッと割ると液が出てくるというしくみ。書いてもよくわからないけど、これは実際に試すことでしか得られない感動な気がする。私はこのとろっ豆のことが大好きで、大学生のときこればっかり食べてた。朝納豆ごはん、昼学食のカレー(280円)、夜納豆ごはん、で過ごした日がいったい何日あったんだろう。


とろっ豆のフタには納豆占いがついていて、フタをパキッとする前にそれをじっくり読むのがささやかな楽しみ。今朝は★★★★☆で、ラッキーアイテムはノートだった。ラッキーアイテムがノートって。用意するまでもなく、多くの人が一日のうちに触れるであろう文房具。そして「たのしいことがおこるかも」のメッセージつき。たのしいことがおこるかも、最高のひらがな。超適当で、超無責任で、超お気楽な占い。ありがとうございます。ささやかな励ましに背中を押されるたびにうれしい。プラスチック納豆容器のフタがパキッと割れるときの高い音、あの音がちゃんと耳に届くと、今日も私のフォナックは大丈夫って安心できる。生活のなかにあるさまざまなバロメータのことがいつもこんなにも愛しい。


納豆も奥が深い。カレーに心を奪われる前は納豆にも壮大な関心が向いていた(今でも向いてる)。豆の種類、ブランド、発酵方法、タレの味つけ、からしのクオリティ、泡立ち、粘りかた、ごはんとの相性、産地、メーカー、パッケージ、もちろん味。池尻大橋にせんだい屋っていう納豆専門店があるらしい、ありとあらゆる納豆を食べ比べできると聞いてからずっと行ってみたい。東京ビックサイトでやってる納豆博覧会にもいつか行ってみたい。少し前に納豆の起源(幻冬舎、大森芳樹)という本を読んで納豆の歴史とその不思議を知った。日本で独自の進化を遂げてきた食べもの。私の生涯をかけて楽しみたい&探求したい食べもののひとつ。



納豆はべらぼうに高いということがないからすごい。大学生のころもとろっ豆は常備してたけど、バイト代が入るとよく変わり種の納豆を買って楽しんでたな、なつかしい。わさび納豆とか、梅黒酢発酵納豆とか、下仁田藁納豆とか、黒豆熟成納豆とか、へんてこであればあるほど思い出深い。ニッチな納豆はひとつ200円とかする、偉大な贅沢。炊き立てのごはんに乗せてそのまめの輝きを見つめるだけで生きててうれしいって思ってた。そうやって生きた日々がいまの私を作った。なっとうありがとうね


納豆占いによって毎朝適当に幸せになり、適当に元気をもらい、適当にがんばろうと鼓舞している私のくらし。欲しいと思ったときに臆せず買う勇気を持ちながら頑張りたい。買わずに後悔するなら、買ってお財布が厳しいゾとあわあわするくらいでいたい。お金はきっとあとからついてくる、昔姓名判断の人にそう言われたことがある。あなたはお金のこと心配しなくて大丈夫って。根拠はない、ないけど、信じるものは救われるはずだよ。ちょっといい納豆を買うくらいの贅沢なんていくらでもする。文庫化を待たずにハードカバーで本を買うくらいの贅沢も、安売りの塩を傍目に沖縄の甘塩を買うくらいの贅沢も、高級な紙のノートや今治タオルを買っちゃうくらいの贅沢も、いくらでもする。私には、私たちには、幸せに楽しく生きていく権利がある。


今日も納豆買って帰りました。最近のお気に入りはタカノひきわり昆布だし納豆(50g)です。納豆のお供で一番好きな食材は青ネギです。

9月前半、よく生きました💮